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翻訳:Rタガート・マーフィー「安倍晋三の日本について」
安倍晋三の日本について(原題:On Shinzo Abe's Japan)
R.タガート・マーフィー(R.Taggart Murphy)
原文:https://newleftreview.org/II/93/r-taggart-murphy-on-shinzo-abe-s-japan
(New Left Review誌、承諾済み)
 
東アジアにおける歴史と政治的正当性
 201412月に日本の総理大臣安倍晋三率いる自由民主党は、ここ2年での2度目の衆議院選挙において目覚ましい勝利らしきものを得た。しかし、よく見てみるとそれらの勝利はずいぶんと奇妙なものであることが明らかになる。自民党はどちらの選挙においても日本の総有権者数の20%の票も獲得していない。実際のところ自民党は衆議院の支配力を失い、野党であった民主党に政府の支配権を渡さざるを得なかった2009年の方が高い割合だったのである。1955年体制として一部で知られている、日本のいわゆる一党民主主義を有権者が中断したのはその時のみである。1955年とは自民党が設立された年である。(自民党は1993年にも短期間であるが野党になったことがある。それは、議員が脱党したことによるものであった。)自民党の2012年の政権への復帰は、最初に政権から追い出された時よりも低い得票割合であったわけだが、それは概して東京においてはかつての民主党の支持者のボイコットに帰するものであり、棄権は今度の12月にも繰り返された。
 
 2009年に民主党は政権についたわけであるが、何百万の日本の有権者は政治が現実に変わることを期待した。しかし、2010年における鳩山由紀夫総理の初の民主党内閣の崩壊はそれらの期待が見当違いのものであったことを示した。一部の官僚と大手の新聞において示し合わされたキャンペーンによって鳩山は妨害された。それらの攻撃は全ての変革に意欲的な日本の政治家に付きまとうものであり、暑い日にハエが家畜の周りをうるさく飛び回るくらいの可能性をもって現れる。しかし鳩山の場合、彼を引き摺り下ろした官僚と専門家たちは、民主党による日本の安全保障体制と外交関係の見直しの公約にうろたえたアメリカの対外政策機関から重要な協力を得ていた。
 
 1951年のアメリカの占領の終了以来、日本は実質的にはアメリカの同盟国というよりむしろ保護領として機能してきた。1951年の日米安保条約は1960年に改定されたが、それは実質的に基地貸出しの協定であり、ペンタゴンが日本中に軍事基地の巨大なネットワークを維持することを可能にするものであり、その費用の大半は日本の納税者によって負担されるものであった。実際のところ、ワシントンは日本の外交防衛政策に対する拒否権を享受していた。民主党のリーダーたちはアメリカの軍事的プレゼンスを減らし、北京と関係を改良する交渉について語っていた。合衆国における日本のスポークスマン−それは殆ど自民党の支持者であるわけだが−は、ワシントンを納得させるために民主党は反アメリカ的であり地域の現状を脅かすという噂を利用した。ヒラリークリントンの国務省の日本担当者は殆どがペンタゴンの時の同窓であったわけであるが、彼らはかねてから話題にされていたアジアへの「軸足」への影響についてやきもきしており、ホワイトハウスは自民党による妨害と提携したのである。オバマ政権は鳩山を大変侮辱的に扱い続けた。殆どの国でリーダーがそのようにされたなら、何百万の人たちが反アメリカのデモで街頭へなだれ込んでいくほどのものである。対照的に日本においては、政権に対する侮辱的な扱いが、自民党と彼らの代弁者である東京のメディアに、彼らが必要としていた攻撃材料を与えた。それは民主党が日本の最も重要な外交関係を、損ない続けていることを示すためのものであった〔1〕。
 
 鳩山の後の2人の民主党の後継者は、同じような途を辿ることを恐れ、論議を呼ぶような外交政策を発議することを避け、改革を担うべき党の中で亀裂が広がり零落へと至った。最期の総理大臣であった、テクノクラートの野田佳彦は2012年に予期されたよりも早く選挙を行うことで自身の政党を裏切り、財務省の念願である増税を確実なものとした。全ての信用が失われ、民主党は何百万のかつての支持者のボイコットによって懲らしめられた。日本の選挙の仕組みにおける保守的で地方の選挙区への不相応な比重に加え、候補者ベースの単純小選挙区制と政党ベースの比例代表制という日本独特の制度によって、そのボイコットは自民党が日本の有権者数の2割にも満たない支持を、衆議院における多数の支配へと翻訳することを可能にした。自民党のリーダー安倍晋三はかつての総理大臣であり、2006年にショービジネス的な小泉純一郎から総理大臣を引き継いだ。安倍は小泉の時期に日本経済の自由化は十分になされたと考え、彼にとって本当に重要なことに取り掛かることとした。すなわち日本の戦後体制を反故にし、加えて彼らには相容れないであろう民主主義と立憲的な政府を反故にするという、長きにわたって抱かれてた右翼の課題である。それらの努力は早まったものであり、国民は大あくびをもって迎え入れた。一連のスキャンダルに囲まれ、調子外れとマスコミから笑いものにされ−「空気が読めない」という日本語の言い回しで評され−安倍は就任して1年足らずで辞任した。
 
 6年後、金融危機の余波と福島の大惨事の中で、安倍は次の教訓を学んだようである。もし政府が人々の経済的不安と願望に呼応しない様子なら、何事も成し遂げられはしないということを。201212月の2度目の総理就任の際、彼は日本経済を変える3本の矢を発表した。彼は日銀の新たな担当者に最初の矢を放たせた。それはベン・バーナンキに匹敵するような一連の量的金融緩和である。2013年には65兆円(350億ドル)、2014年には80兆円(450億ドル)であった。103兆円という過剰な財政支出が第二の矢を構成していた。それについては財政的景気刺激策の観点から語られるように議会は図るだろうことを、安倍は頼りにすることができた。三本目の矢は輪郭がはっきりしない「構造改革」のパッケージであった。しかし、現実的な詳細部分が欠けていることは問題ではなかった。というのも、二本の矢で安倍が求めていたものは達成できたからである。つまり、株式市場に刺激を与えることと円の価値を下げることである。日本株式会社は急激な通貨安による利潤の急上昇と輸出収入で有頂天になった。そうはいうものの、輸出量は殆ど伸びてはいないのであるが。経済の興奮状態は20137月の参院選で自民党が勝利するのに十分な期間続いた。
 以上のことによって、安倍とその取り巻きは本当にしたいことが自由にできるようになった。すなわち戦間期のあからさまな独裁国家の復興にとりかかることである。自民党は1947年憲法を破棄するに必要なだけの絶対的多数を有してはいなかった。自民党の大半は憲法を日本に押し付けられた外国の文書と見なしていた〔2〕。安倍は憲法を紙切れ以外の何物でもないかのように振舞い、2013年末の国会であからさまに違憲な特定秘密保護法を打ち出した。それは政府が欲するものは何でも「機密」指定し、なにが実際に起こっているのかについて真相を知ろうと試みるものは、たとえ意図的にそうしようとしなくとも、誰であれ告訴することができる権限を政府に与えるものである。さらに2014年の71日には内閣はワシントンに急き立てられて、議会の承認なしに日本は集団的自衛権に今後関与していくということを公式に発表した。集団的自衛権とは、日本自体が脅かされているわけではない紛争に参戦するために軍隊を派遣しうるということである。憲法9条は「国権の発動たる戦争は永久にこれを放棄」し、「陸海空軍は保持しない」と明記してあり、「国の交戦権は認めない」と明言されているわけであるから、内閣の公式発表は日本は行政命令で統治されている無法国家であると宣言したも同然である。
 
 以上の間に、安倍は国営テレビネットワークであるNHKの経営委員を保守的なビジネスマンである籾井勝人を筆頭に極右でかため、また東京の靖国神社への参拝を始めた。このかつての日本の軍国ナショナリズムカルトの精神的支柱は何百万の日本の戦死者の魂を記念するのみならず、1979年に右翼的な宮司によって戦犯もまた祀られてしまったのである。故にそれ以降、靖国の公式参拝は中国や韓国の激しい怒りを買うこととなったし、天皇は靖国に参拝しなくなったのである。
 
ワシントンの認識
 安倍の右翼的な政策目標に立ちはだかる制度への攻撃は、アメリカにおける法の支配への脅威と安全保障国家アメリカの諸機関に対する政治的な監視が崩壊しかかっているという文脈において捉えられる必要がある。アメリカでは憲法修正4条、6条、8条は実質的に死文化しており、他国が自身の基本法を無視しているなどと咎めだてできる立場にはない。無法なCIAが議会の名ばかりの監督を小馬鹿にすることを許しているワシントンは、東京が次のようなことを構想することを諌める如何なる根拠も有してはいない。すなわち、誰が機密を守ったか或はそうでないかということを決定するための、説明責任から逸脱した秘密調査班を設立することを構想することについてである。安倍首相の国ではなくオバマ大統領の国において、国家安全保障局の内部告発者は自分たちが働いてきた政府の犯罪と汚職を暴露したことで、苛烈かつ報復的な実刑判決に直面している〔3〕。     
 民主的な説明責任を負った制度に政治は係留されていたのだが、アメリカがそこから漂流してしまったまさにそのことが、自民党における右翼的分子を悩ませてきた彼ら自身に内在する緊張関係を鎮めることとなった。彼らは長きにわたって、日米「同盟」の堅持とアメリカによる占領の遺産の忌避を調和させることを強いられてきた。中でもとりわけ彼らにとって遺憾なものは、被統治者に対する政治の説明責任という政治的正当性に関する概念である。
 
 ワシントンの役人は2012年に自民党が政権についたことを喜んだ。CIA1955年に東京に資金を流して、左派の選挙の勝利を制するために保守政党の合併に資金援助をしており、自民党は部分的にはCIAによって作られたのである。喜んだ理由は単にそのような事情であるからというだけでない。むしろアメリカの防衛外交政策の主流派と自民党との結びつきが深くまた長きにわたるものであったからである。ペンタゴンは日本のより強化された戦争組織、加えて東アジアにおける所謂「相互運用性」を求めている。相互運用性とは本質的には二つの軍隊が一つの命令で機能するということを意味しており、安倍はこの最大の障害を克服する約束をしていた。それは日本国憲法であり沖縄という小さな島で渦巻いている抵抗である。沖縄には在日駐留アメリカの軍の大半が集中している。安倍政権は沖縄に大金を投じた結果、沖縄の知事は立場を翻して東京とワシントンの間で合意されていた新たな海兵隊基地を支持することを示したものの、多くの沖縄の人たちの激しい反対にあっている。法案が通って新基地に反対することが禁止され、本稿が書かれている時点では、予備的な工事が始まった〔4〕。
 
 ワシントンが喜んだのは早計なことであったばかりか、日本における現実の権力の力学について殆ど理解していなかったことを顕にしていた。安倍の周辺に集まっている右翼的な政治家と知識人は、アメリカとアメリカによる日本の占領が、彼らの国を弱めてしまっていると非難しているのである。つまり近い将来アジア本土で交戦相手となる新たな大国と衝突する際、彼らが必要不可欠と考える道徳的な堅固さを掘り崩してしまっているというのである。彼らは合衆国に対する愛着など実際のところ無いに等しい一方で、アメリカとの「同盟」の代替案を構想することができない。中国が王朝時代に享受してきた地域的ヘゲモニーを、北京が再び握ろうとする意図に従うこと以外には。ワシントンもまた日本における純粋に民主的な政治秩序は、アメリカの日本に対する主権にとっては問題であると考えているのは明らかであり、日本の右派もさしあたっては安全保障国家アメリカに対して彼らの国が従属することに耐え、また歓迎さえもしている。その従属は日本の右派にとっては好都合なものであった。というのも長い経験を通じて、彼らは次のことを学んだからである。すなわち、日本の右派が直面する問題を扱う際に、それをペンタゴンの東アジアに対する計画への脅威の問題に粉飾することで、ワシントンの助けを得ることができるからである。その能力が直近で示されたのは「反アメリカ」のラベルを民主党に張り付けることである。
 
 しかし、ワシントンの役人の政策課題と日本の右派のそれは同じではない。安全保障国家アメリカは日本を重要ではあるものの単なる属国と考えており、言われたことを行って問題を起こさないことが日本に望まれている。ペンタゴンと日本の右派は中国を封じ込める必要があり、最終的に平和的なものか或はそうでない形で衝突することは不可避なものであるということについて、似たような見解を有しているだろう。しかしワシントンはその衝突のタイミングと性質を東京が選ぶのは許さない。さらにワシントンは、東京がソウルと良好な関係を保つことを欲している。そうすることで、両者は以下のような計画における各々の役割を果たすことができるのである。つまり、ペンタゴンが中国の台頭に対する「均衡を保ち」或は封じ込める一方で、予測不能の動きをする北朝鮮に対処するための計画である。他の条件が同じであるなら、日本の右派もソウルと折り合っていくことはやぶさかではない。しかしそれは1930年代の歴史を書き換え、占領期に押し付けられた「外国の」制度と考えを日本から取り除くという長きわたる悲願をあきらめるという代償無しにということである。
 
歴史の影
 おそらく東京、ソウル、北京における過去の出来事への執念ほどワシントンを惑わせるものは無いだろう。それははるか昔に起こり、覚えている人もわずかしか存命していないような出来事なのである。しかし三者の政府全てについて言えることなのだが、各々の国内の政治的正当性はそれらの出来事に関する各々の解釈と結びついている。それらの解釈は、どんなシナリオの元であっても、一致することは不可能である。北京においては、革命的労働者と農民の体制と自称するものから儒教的な官僚主義体制への変化が、マルクス=レーニン理論を超えた政治的正当性の基礎を構築することを可能にしてきた。中国共産党は実際に社会秩序の中軸となる考え方を、マルクス=レーニン理論から博愛的な官僚政治という儒教的なものに置き換えてきた。したがって、階級闘争についての解説、長征、蒋介石の国民党との戦争は、中国共産党の建国神話において、党の経済成長をもたらす能力と日本を中国から追い出したという歴史的偉業の中心に党がいたということに、とって代られてきたのである。(実際のところは、国民党が日本との戦闘の矢面に立っていた)。とりわけ、中国共産党は次のことを望んでいる。すなわち、国共内戦の悲劇を訴えるよりも、抗日闘争における全ての愛国的な中国人の役割を強調することで、いつかは起こるであろう台湾と本土との間の和解が未だ、台湾の第一党である国民党にとって、受け入れやすいものになるであろうということを。仮に国民党がそうでなくとも、より多くの台湾の人たちにとっては、受け入れやすいものとなるだろう。しかし、以上のような反日的姿勢の全てが、北京が直接に東京とビジネスをすることを難しくする。とりわけ中国でレイプと略奪をした人たちの、遺伝的またその他の意味での直接の子孫の管轄下に東京がある場合には。
 
 一方、韓国は世界で最も経済が上手くいった事例の一つではあるが、政治的正当性にまつわる問題が体制をその発端から悩ませてきた。朝鮮民主主義人民共和国の抑圧と残忍さに関する悲惨な記録について如何に考えようとも、国の創設者の資格に疑わしいところは無い。創設者の金日成は、日本による朝鮮の占領に対抗するゲリラ兵士であった。対照的に、韓国の初代大統領の李承晩はワシントンによってその地位につけられ、1960年代の学生の蜂起によって亡命を余儀なくされた。その後2年経たずして、現在の大統領の父親である朴正煕が軍事クーデターによって権力を握った。韓国の経済的奇跡については彼に並び立つものは無いが、彼の社会的所有および権力と発展の問題に対する考え方は、殆ど全て日本製なのである。彼は植民地の満州国で教育を受け、日本のトップの士官学校で学び、日本陸軍に従軍し、日本名を名乗り、権力を掌握した際に国の工業化を日本の革新官僚によって書かれたルールブックに従って推進した。革新官僚は1930年代に日本経済を戦時体制にして、満州を植民地の見本市として運営し、戦後世界においてはかつて存在した通商産業省の中核を形成した。
 
 以上の歴史は、朴の娘が利用することのできる政治空間を狭めてしまっている。それは、1930年代と40年代についての説明を書き換えようとする日本政府の意図と調和するからである。残忍な日本帝国主義による清廉高潔な犠牲者以外のものとして韓国を解説するのは、現在のソウルの政府には容れがたい。官界には占領者への韓国側の協力について、どんなニュアンスの議論の余地もなく、あるいは「従軍慰安婦」にまつわるものについて誠実に全てを報告する余地もない。従軍慰安婦とは日本軍によって集められ性奴隷の状態に置かれた、何千もの若い韓国女性の婉曲的表現である。日本は性奴隷の組織化を、韓国やその他のところで、かつてないほどの水準で行った。しかし、東アジアのいたるところにある、貧しい若い女性を搾取する制度について全て話すことは、悪の日本と有徳の犠牲者である韓国という神話によって阻害された。若い女性を搾取する制度は、日本の植民地化より以前にあり、それ以降も続いた。おそらくは、植民地化の最も醜い側面で、後に向き合うことが最も難しいものは、植民地化された時期に起こったモラルの崩壊である。数えきれないほどの小さな(あるいは小さくはない)裏切りがあり、友人、隣人、家族、果ては自分自身の尊厳さえも、生きのびるために裏切るのである。他国の抑圧に囚われた人たちは、同国のユダヤ人に連帯するために自身の胸に黄色い星をつけたデンマーク人のように自分たち自身を捉えることは無理からぬことではあるものの、ヴィシーフランスの醜い記録が通常起こることに近いものである。しかし、それは占領協力者の子孫をアキレス腱として残すことになる。
 
「タテマエ」の破壊
 話は変わって、安倍と彼の周りの人は何がしたいのか?過去を書き換えたいという執念はどこから来るのか?南京事件、韓国人その他日本人以外の女性の組織的な奴隷化、重慶の無差別爆撃、シンガポール陥落後の7万人の中華系住民の意図的な殺害、悪名高い731部隊の人体を使った医学的「実験」。以上、日本帝国陸軍が関与した最も悪名高い残虐行為のみを列挙したわけだが、これらを歴史から無きものとする試みは、証拠と客観的事実の水準から言って、どうやっても勝ち目はない。国益について冷静で現実主義的態度をとる日本のリーダーなら、次のような政治的正当性についての諸問題を即座に把握するだろう。つまりソウルと北京においては正反対なものと向き合わざるを得ないようなものである。また、彼は歴史を書き換えようとする試みは、日本が利用可能であることが明白な二つの戦略的方針を、閉ざす恐れがあるということを理解するだろう。中国との構造改革された関係また韓国とアメリカとの同盟を介した中国の勢力とのバランスの二つである。
 
 大半の日本人は、安倍と彼の助言者を突き動かしているだろう右翼的な夢を共有してはいない。彼らは殆どあるいは全く、1930年代に何が起こったかを知らない。学校はその部分を飛ばしてしまう一方、小説、映画、テレビ番組は大津波のようにある。これらは(兵士、政治指導者、将軍を含む)その時期の日本人を、彼ら自身は何の落ち度も無いのに恐ろしい出来事に捉えられた、慎み深い人々として描き出している。最もリベラルで物のよく分かった日本人でさえ、起こった出来事のスケールにもろに直面することには耐えられない。もし、そうすることを強いられたならば、このことは戦争が必然的に引き起こしたものなのだと彼らは自発的に考えていくこととなる。これが日本で平和主義が確固たるものとなっている理由の一つである。
 
 普通の日本人を苛立たせるものは、過去が主に彼らを叩くための棍棒として利用されているという感覚である。彼らは広島と長崎に落とされた核兵器、カーティス・レミーのアメリカ陸軍航空隊による東京大空襲を、帝国陸軍が行ったのと同じくらいの残虐行為と見なしており、それはもっともなことである。しかし、ワシントンは東京に対し慇懃無礼ではあるのだが、過去の出来事で日本を責めることを通常は慎重に避ける。ソウルと北京はそうではない。大飢饉や巨大な「黒」監獄制度の首謀者である中国共産党は、多くの日本人から見たら、戦時中の日本の振る舞いについて何かを言えるような道義的な立場には無い。黒監獄とはチベットや中国北西部のウイグル地方を従わせる意図をもって発明されたものであり、文化的な荒廃をもたらすまでになっている。一方、「従軍慰安婦」について、ソウルが多くの東京の人に対し限りなく蒸し返してくる様子が日本人には気に入らない。というのも或る年齢の日本人の男性は皆、キーセンハウスというものについて知っているからだ。戦後の早い時期において、日本人の男性の間では韓国はセックス観光の楽園の代名詞であった。その観光旅行の基盤は、日本によって敷かれたものでは無い。
 
 多くの日本人に対して何か漠然とした悪意がある様子で、彼らはそれについて防ぎようがないと感じている。このような感覚の大部分は、日本社会において起こっていることが、国際関係のレベルでも当てはまると漫然と考えていることに由来する。企業、個人、政府の官僚であれ、日本においてお互い上手くやっていかねばならない二つの集団は、彼らの関係を描いているような想像上の構築物に暗黙のうちに同意する。日本語で言うところの「タテマエ」である。したがってタテマエを崩すこと、言ってみれば不用意に真実を口にしてしまうことは、通常は攻撃的な姿勢と解釈され、北京が繰り返し南京事件に言及することやソウルが「従軍慰安婦」について持ち出し続けることを、大半の日本人は反射的にそのようなものとして見てしまうのである。もし、それらの政府が東京に対して純粋な善意を持っているなら、彼らは不幸な歴史に関する婉曲表現のかたまりに過去の議論を封じ込めることにやぶさかでないだろうし、それらを二度と繰り返さないような平和の枠組みを作っていることだろう。
 
 しかし、そのように音頭を取られたとしても、ソウルも北京もそれについてくる気はない。彼らの国に戦争を仕掛け、父祖たちに耐え難い苦しみを与えた体制の直系の末裔である東京の政府がそうするのであれば、確実にあり得ない。中国共産党は、帝国陸軍が最初に蒋介石の軍隊に打撃を与えていなかったら、権力を掌握することは決してなかっただろう。韓国の体制は、その初めから占領協力の影に付きまとわれたために、彼ら自身が真の愛国者の朝鮮人であることを宣伝しながら、平壌の同胞と6年間戦争せねばならなかった。これらのことは、安倍とその取り巻きが行おうとしていることを、中国や韓国が無視することさえも困難にするのである。
 
 国体の守護者
 日本の圧倒的多数派とは違い、安倍と彼の助言者は過去に対して、執念にまでなってしまうほどに偏狭なまでの強い思い入れがある。その執念は、近代日本国家のルーツである1868年のいわゆる「明治維新」にまで遡る。明治維新は実際のところ、西日本から来た身分が低い田舎侍によって実行されたクーデターであった。侍の特権が損なわれたことや、西洋の帝国主義者による威圧的な要求に直面する中で、徳川幕府が目に見えて衰退したことによる混乱と弱体化に悩まされながら、彼らは二つの相矛盾する政治的正統性を口実に権力を奪取した。一方では天皇の直接的支配であり、もう一つは西洋から流布してきた立憲的政府の概念である。彼らは強行軍で自国を工業国の序列に組み込んでいき、1905年の日露戦争でヨーロッパの国を負かすほどの効果をあげた。それ以降、彼らは西洋人に対し殆ど同等のものとして扱うようにさせることができた。その成功は自然に彼らの正当性を支えるものとなった。
 
 しかし、天皇の支配というフィクションと自薦の寡頭支配者からなる政府という現実との落差はそのままであり、その落差は1世紀にわたる権力闘争の舞台を用意した。官僚化された寡頭支配者達は明治の指導者から権力を受け継いだ。それは20世紀の最初の数十年の間に指導者たちが亡くなった後のことである。彼らは論議について公式に裁定を下す術が無かった。というのも、理屈の上では天皇の名における支配があったわけだが、天皇は実際のところ殆ど何も決定を行っていなかったからである。その帰結は並外れた政治的無責任であり、説得力を持った勝利のためのシナリオを欠いたアジアの戦争遂行と、日本の10倍の工業力を持った海の向こうの大国との直接衝突において、それは頂点を極めた。
 
 アメリカは、その視点から見て戦争に責任を負っている人たちから成る権力機構を取り除く意図のもとに、日本の占領を始めた。多数の政府の内部にいた人たちが逮捕され、東京裁判の法廷へと連行された。しかし、それはすぐに茶番劇に成り下がった。というのも、アメリカは天皇の関与や過失について、踏み込まないとしたからだ。(占領軍の最高司令官ダグラスマッカーサーは、慈悲深い統治者という評価に磨きをかけることに執着し、天皇は如何なる説明責任についての要求からも守られることを確約した。そうしなければ混乱を広めるだろうからである)。日本の左派の再浮上、アメリカ財務省の支出の増加、毛沢東のゲリラが今にも権力を握らんとしている驚くべき中国の「喪失」に直面して、ワシントンは当時の用語でいうところの逆コースをたどり、戦後直後のパージを生きのびた日本のエリートの構成分子を、権力の中枢に戻した。
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 このエリートの権力への復帰は、次のような形で合理化されねばならなかった。すなわち明治時代の間に作られた相矛盾する政治的なフィクションを、今日的な形にすることによってである。そのフィクションとは議会制政府や天皇の直接支配であり、現実の支配は1860年代に権力を掌握した身分の低い田舎侍によってなされていた。戦後の時期にアメリカに押し付けられた憲法はそれら相矛盾する構成要素を、互いに衝突しあうことがより少なくなることが確実である理念へと変化させた。とりわけ、大半の戦後日本の人々は、自分達のものと呼びうるような国、主権が国民に帰属する民主主義を求めていたのである。しかし一方で、日本の権力者の多くは、世界の目の前で彼らの政府に政治的正統性を与えるために、民主的な要素を利用した。占領とそれが終わるまでの期間、彼らには選択の余地はなかった。彼らは立憲的で民主的な統治権の基礎を、完全に受け入れることはしなかった。はっきりそれとわかる形ではないにせよ、彼らは次のような日本の捉え方に立ち戻り続けた。つまり、日本は皇室を中心とした他に類を見ない聖なる国であり、皇室が彼らの政治的権力を正当化する究極の源泉なのである。国の本質を意味する「国体」は戦前の用語である。以上述べたようなことが、1940年代後半の「逆コース」で直接に利益を受けたエリートたちの本音である。彼らはCIAの助けを得て1955年に自民党を結成し、日本の権力構造のカギとなる土台部分、すなわち高級官僚と企業や銀行の系列関係を、彼らが握るのを安泰なものにした。彼らはその言葉をもはやほぼ使わないだろうが、「国体」の神秘的な性質と国体の護持とが日本の支配者の根本的な任務であるという考え方は、彼らの統治権への確信を強めるものであった。戦前における政治的正当性の確立は、自認されたものではあるが国体の守護者という役割に由来し、何が日本を災禍に導くかについて公正な精査できず、そのことが彼らの戦後世界における必要性を低下させ、彼らの権力の所有権の主張は問題外なものとなった。
 
相続人と挑戦者
 日本における誰よりも、安倍は日本の権力エリートの継承性を体現している。日本の権力エリートは19世紀後半に、様々なものが混成して出来たものである。彼は祖父の岸信介の膝元で育てられた。岸は日本がファシズムであった期間の、最も重要な指導者の一人であった。ファシズムの時期は、日本の植民地の見本市であった満州国の経済的独裁者であり、東条内閣における軍需相の大臣であった。それのみならず、日本の戦後政治秩序、すなわち自民党と日米「同盟」の重要な設計者としても現れた。少年時代から、安倍は20世紀の出来事を、次のような解釈に変更することに執着していた。それは、彼の祖父の汚名を挽回することであり、戦争は日本に押し付けられたものであり、指導者たちは選択の余地はなかったという考えを固めることである。安倍の勝利は、日本における野党が選挙で不面目な結果に終わったという以上のものである。それは彼の祖父が元々持っていた自民党についての考え方が復活したということである。すなわち日本の官僚化された寡頭支配者が、アメリカの占領が中断された後、将来的に政治経済の中心を支配する状態に戻ろうとする試みを先取りするものが自民党なのである。岸と彼の同盟者によって作られた政治的基盤は、左派が日本の議会機構を奪取することを防ぐことに成功した。それは戦後すぐの10年間は高い可能性でありえたことである。しかし、自民党の創設者は自民党内部の叛乱者に対抗する処置をとることは失敗した。1971年まで、岸自身を含む自民党の首相は大部分が日本の高級官僚出身であった。しかし選挙という政治機構は、自民党内部の序列から現れ出る、複雑なパワーバランスを使いこなしうるポピュリストによって占拠されてしまう可能性を許容するものである。それが1971年に田中角栄が首相になったときに起こったことである。
 
 日本の後進地域出身にしてその代弁者である政治的天才の田中は、日本の「国の本質」に対して右翼的な空想を持つことに殆ど関心を抱かなかった。彼はさまざまな協定を結ぶことを求め、非常に上手くいっていた。とりわけ、東京と北京の間の外交関係を確立するための交渉を周恩来と行った。官僚は田中と仲良くやっていた、というのも彼は寡頭支配のルールに本気で挑んでくることは無かったからである。彼が欲し、そして手にしたものは、彼の政治的な基礎を形成していた「より多くの」日本中の何百万の農民と小規模企業主である。その状況を日本の権力エリートは、経済成長が続く限りにおいては許容していた。しかし、1980年代後半のいわゆる「バブル経済」の崩壊後の経済成長の低下は、寡頭支配の擁護者と田中が後に残した弟子たちとの、自民党内部の亀裂を露にした。それらのうち最も才能のある小沢一郎は、ベストセラーの本の中で、彼の意図を公言した。つまり、選挙で選ばれた政治家をエリート官僚の召使いからその主人へと変化させるという田中のやり方を利用し、その過程で日本を彼が言うところの「普通の国」にするということである。彼が1993年に脱党したことで、自民党は短い間だが野党になってしまった。1955年以来日本で動き続けてきた自民党と官僚の集合体による支配、その代替案を作り出すことの最初の失敗の後、小沢は民主党の創設者と同盟を結んだ。彼の卓抜した政治技術はやがて2009年の民主党の勝利をもたらした。
 
 その選挙は日本の伝統的な権力エリートを怯えさせた。それは単に自民党の敗北によるものではない。有権者に責任を負う者たちによる政治的な競争と支配という、小沢の考え方に暗に含まれているものが、明治の指導者が亡くなって以来日本を支配してきた官僚集団に民主的な束縛をするものだからである。これのみが日本の権力エリートが2009年に類似するようなことは二度と起こしてはならないと決心したことを説明できる。それは現存する野党を去勢してしまう以上のことを意味している。田中と小沢の例は、選挙政治という基盤が野心的な政治家に権力の統制権を握る可能性を与える限り、それは日本の官僚の寡頭支配者による継続的支配に対する脅威を作り出すということを表している。それゆえ政治的正統性の基礎は投票と選挙に在るとすることはは許容できず、むしろ賢明で永続的に居続ける官僚集団の支配権に政治的正当性の基礎が在るとする。ここにこそ、すなわち支配権を統制の及ばないものとする必要があるところに、歴史を書き換えようとする衝動が存することを我々は指摘しうるのである。
 
 北京と東京は、従って、正当な政治秩序の定義については同類の歴史上の儒教的な定義に集約していくことになる。情け深いエリートによる支配であり、彼らが権力を保持するのは彼らの高い教育、見識、モラルに依るものである。適切に社会化されたマルクス主義の指導的役割や自由で公正な選挙の勝利といった、西洋から輸入された政治的正当性のモデルを投げ捨てた後、両者は歴史的な手本へと立ち戻っているのである。だが、今まで見てきたとおり、二つの儒教的官僚制の建国神話は調和しえないものであるがゆえに、それらは容易に折り合いはつかない。
 
神話と誤算
 我々はどのような状況にあるのだろうか。中国は日本を独立した政治体制とは見ておらず、ワシントンとアメリカの代理人と見ている。それらは東アジアにおける善意ある中国中心の秩序という、北京が適切な状態と考えるものの再興を妨げる意図を持っているのである。ワシントンも東京も北京の疑念を鎮めることは出来ない。北京は東京と交渉をしているときに、実際のところ誰と話しているのかについて疑念を持っているのだ。北京が両国の領海間の小さな群島の領有権を突然押し出してきたことは、中国が東アジアと東南アジアの歴史的ヘゲモニー回復を推進することの一端であると言い得る。しかし、次のことは記憶にとどめておく価値がある。民主党政権の最初の崩壊の直後に中国が挑発を始め、そこにおいてはワシントンが重要な役割を果たしたということを。民主党政府は約600人のトップの企業人と文化人を中国に派遣した。それは小沢に率いられて、二国間の関係の基礎について再交渉を行う意図があることが告知されていた。この訪問団に寄せられた熱意とワシントンの失敬で侮蔑的な鳩山への扱いの落差は、日本外交関係が根本から作りかえるのではという、東京のメディアの憶測が広まることを引き起こした。同様にまた、アメリカの外交政策機関のヒステリー発作をも引き起こした。その後すぐに鳩山は駄目になり、続いて先に述べた群島に関する争いが始まった。多くの日本人は、右翼的考えを持っていてもいなくとも、北京の意図について恐れている。多数の人たちは安倍の右翼的な政策課題を支持はしていないが、鳩山の辞任以降の急激な北京との関係の悪化が、もし日本が再浮上してきた中国に飲み込まれたくないのであれば、安倍の計画以外に代替案がないと論じる人たちを利することとなってしまっている。このことが多くの人が積極的支持無しに自民党に投票した、或いは選挙に行かなかった理由である。今日、人々がまとまることのできるような、信頼できる野党は存在しない。とりわけ、東京の今ある権力構造のみが、アメリカのサポートを継続させられ得ると見られている。それのみが中国との均衡勢力を保つ望みであると多くの日本人は見なしている。しかし、状況は悲劇を作りだしている。というのも、それは安全保障国家アメリカと日本の右派が、お互いを人質にし続けることになるからである。日本の右翼の構成分子は中国とのある種の対決をしたがっており、群島を巡る争いを煽った。そのような声はさしあたっては続いているものの、中国との平和的な関係のために必要な前提条件と右翼の建国神話とがかみ合わないことは、計算違いのことが起こる可能性を増大させる。北京に限って言えば、おそらくは危機を誘発させようとするだろう。それは東京に屈辱と困惑を与えるほど深刻なのではあるが、しかし米軍による介入の一歩手前という程度にとどまり続け、それによって日本にアメリカの安全保障は究極的には信用できないものであることを見せつけ、中国側の言い値で日中関係の再構築を強いるのだ。〔5〕
 
 代替案は日本政府が大衆の支持に由来する、非のつけどころのないような政治的正統性を手にすることであり、ワシントンと北京の両方に対し主権を有する独立国家として交渉ができる政府たることである。そうした時に初めて、中国は日本を真面目に相手にするだろう。アメリカにとっても、自身の安全保障と外交関係に責任を持つ同盟国は、後ろ向きな報復主義者によって統治された扱いずらい保護領に比べ、実際に動かざるを得ない形か、或は張り子の虎として見られる形でアメリカを巻き込んだ衝突を起こすという失敗をする可能性がはるかに低い。当面の間は、そのような同盟国が現れる見込みは無い。というのも、その前提条件は政治的正統性を満たした日本政府が広汎な大衆的支持を得ていることであるが、それを導き出すような信頼に足るシナリオが想像できないからである。日本のため、そしてより広い世界のために、このように望むことしかできない。すなわち、次にそのように出来る可能性が現れた時は、それが潰されずに前に進んでいくことを。
 
〔1〕Gavan McCormack”Obama vs Okinawa” NLR64,July-August 2010を参照のこと。
〔2〕立花隆が示しているとおり、憲法の本質的な部分は1920年代の日本の自由主義的な弁護士やジャーナリストによって起案された草稿から持ってきたものである。
 立花隆「私の護憲論」20077月 月刊現代。
 
〔3〕“Obama’s Crackdowm on Whistleblowers”,The Nation,15 April 2013.
      オバマによる告発者への弾圧」2013415日ネイション誌
 
〔4〕それがいつ終わるかははっきりとしていない。とりわけ反対派の新たな知事が選出が選出されているのである。
 
〔5〕例えば、以下を参照のこと。Howard French”China’s Dangerous Game”,The Atlantic,
November 2014. ハワード・フレンチ「中国の危険なゲーム」201411月 アトランティック誌
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翻訳:黄之鋒「行進する学民思潮」
行進する学民思潮
Scholarism On The March
2015年03月 - 黄之鋒    訳:芦原省一
原文:http://newleftreview.org/II/92/joshua-wong-scholarism-on-the-march 
訳者コメント:「New Left Review」誌 92 MAR/APR 2015に掲載された、黄之鋒のインタビュー記事(NLR誌了承済み)。黄之鋒は、昨年二〇一四年のいわゆる「雨傘革命」の中心人物の一人と見なされている。






――ご家族のバックグラウンドについて、語ってもらえますか?

 私の両親は香港へ、そのほとんどが公営住宅や村落に住む下層階級の出身として、やって来ました。しかし、両親は、献身的に学習に取り組み、試験でも良い成績を残して、香港大学に入学しました。学位を得て、彼らはミドルクラスの職を探すことが可能になったのです。私の父はIT企業に勤め、母はカウンセリングの仕事をしていました。そういうわけで、私は、典型的な香港の中産階級で育ちました。
 私は、香港返還の前年となる一九九六年に、生まれました。私の両親はキリスト者で、私は、クリスチャン・スクールに通いました。香港の文化はとても保守的で、個人の成功を基盤とする通念がありました。一度、教師に、「私たちはいったいどうすることで社会に貢献できるのでしょうか?」と訊ねると、彼女はクラスでこう言いました。「あなたが多国籍企業に入って、お金持ちになれば、貧しい人々に寄付することができる」。実に、典型的な見解というものです。

――ご家族のキリスト者としてのバックグラウンドや、ご家族が教会に属していることが、あなたの人生にどのような影響を与えましたか?

 私の家族は、香港の基督教香港崇真会に所属しています。教会の宗派は、重要ではありません。なぜなら、香港の人々は、神学的な理由で教会への所属を選ばないからです。私の両親がこの教会に通っているのは、家から近かったからです。その結果、私も協会の関連施設である幼稚園に通っていました。私は、三歳になって教会に通うようになりました。
 キリスト教は、もっとも力がある存在は神である、と私に教えてくれました。どんな人間も他の人間に対して超越的な力を持ちえないこと、原罪があるために、どんな人間も完璧ではないことも教えてくれました。官僚や政治家の多くも、キリスト者です。ですので、宗教は、全ての人に同じ影響を及ぼすわけではありません。私にとってキリスト教の教えは、独りで住んでいる年配の人々を気にかけることなど、社会的正義の問題に関わるための良い基盤となっています。
 それに加えて、私は、映画『中国のイエスキリスト』を観ました。小学校にいたその時から、共産主義政権下で宗教的自由を得るのは非常に難しいことに気付き、限りのある物質的なものは、私たちの人生の目標ではないことを知りました。むしろ、私たちは、価値や信条のために、自らを犠牲にする覚悟をすべきなのです。
 それにまた、教会は、私の組織運営能力にも、大きな影響を及ぼしました。毎年クリスマスとイースターには、パーティーやショウ、班単位での活動など、大規模な活動がありました。高校生だった頃、聖書のクラスで中学生を指導しなければなりませんでした。小さなグループやゲームをどのように率いるかを、演説と同じくらい学びました。私は、そうした技術を、教会の活動に関わることによって得たのです。数百人の高校生か大学生が教会にいて、千人ほどしかメンバーがいないということが、よくありました。なぜなら教会は中西区にあって、「有名校」と呼ばれるものが、密集している地域だったからです。

――いつ、どうやって政治化したのですか?

 一四歳の時、中国と結ぶ高速鉄道に対する反対運動がありました。それは二〇〇九年から二〇一〇年のことで、それに興味を抱いたのです。ニュースを読み、インターネットでの議論を追い掛けましたが、その時の私は観察者であって、参加者ではありませんでした。転機となったのは、二〇一一年の春に、「徳育及び国民教育」を、二年後に学校のカリキュラムに導入するという発表があった時です。六月に、私はこれと闘うために、すぐに「学民思潮」と呼ぶことになる組織を、数人の友だちと創設しました。私たちはアマチュアっぽいやり方で、鉄道の駅でそれに反対するビラを配ることから始めました。しかし、すぐに反応が現れ、反対の世論が形成されました。この時に、香港史上初めて中学生が、活発に政治に関わることになったのです。
 私たちは、新しいカリキュラムに反対していました。なぜなら、それは中国共産党を「進歩的で、無私の団結した組織」と見なして、私たちに教義を吹き込むものだったからです。中学生たちは、このような種類の洗脳を望んでいませんでした。しかし、彼らはまた、既に重荷となっている教科に加えて、どのような種類の追加カリキュラムも、望んでいなかったのです。そういうわけで、「徳育及び国民教育」の中身をよく知らない学生たちさえ、それには反対していました。そうして、大規模なデモが組織化されたのです。

――反応の速さと規模には、驚きましたか?

 ええ。学民思潮が始まってから三ヵ月後、私たちは、プログラムの撤回を求める請願を組織しました。二〇〇名からなるボランティアのチームが、一〇番街の駅の外に立って、一日に六時から八時間、三〇度の暑さの中で、署名を集めました。一〇日間で、一〇万人もの人が請願書に署名してくれました。当初、学民思潮に注目するメディアはありませんでしたし、教職員組合すら私たちのことを気にとめてはいませんでした。ですが、それも短期間のうちに変わりました。特に、私が多くのマイクを前にして、テレビのインタビューに応じてからは、そうでした。私たちの目的からすると、いくぶん政治的なパーティーめいたこうした出来事は、香港の一般の人々からも支持を得ました。

――学民思潮は、チュニジアとエジプトでの「アラブの春」と、その秋の「ウォール街占拠」の間、二〇一一年六月に生まれましたね。これらの運動は、あなたに影響を与えましたか?

 いいえ。それらの出来事は、私に影響を及ぼしませんでした。そうした人々のことは気付いていましたが、彼らの要求と方法は反国民教育運動とは異なるものだったので、私たちの政治的な想像力の一部とはなっていません。二〇一一年、香港の一般大衆は「市民的不服従」の意味を理解していませんでしたし、私たちは「アラブの春」や「ウォール街を占拠せよ」にも、興味を持っていませんでした。学民思潮が最初に創設された時、私たちが考えていたのは、単に街でビラを配ろうということだけです。

――二〇一二年三月には、梁振英が香港特別行政区長官に選ばれましたね。運動への影響はありましたか?

 ええ。選挙は、香港の非民主主的な体制を、大げさに演出したものと言えました。有力候補の二人はどちらも百万長者で、二人の間にはわずか一二〇〇票差しかありませんでした。梁は最後の票を北京から得たのです。それに、二人のうちでも悪い候補だ――ずる賢くて無慈悲だ――と広く見なされていました。それにまた、中国共産党それ自身の秘密のメンバーだとも考えられていました。彼の当選は、疑いもなく多くの不安と怒りを呼び起こしました。それはオフィスでの彼の実績を確認しただけだったのです。民衆の雰囲気は、おかげでラディカルなものとなりました。
 二〇一二年の七月には、種々様々な民衆団体や市民団体を統一した巨大なデモが、国民教育法の撤回を要求して、行われました。政府は耳を傾けませんでした。そこで、九月にはあらゆる路地を抗議者たちが埋め、私たちは直接行動を起こしたのです。一二〇万人もの人々が結集して、香港政府に対して抗議しました。私たちのメンバーのうち三人は、向かい側の公園でハンガーストライキを行いました。九月の中旬には、香港特別区立法会の選挙が予定されており、ハンガーストライキの二四時間後でした。政府は屈服し、予定を保留したのです。

――あなたはその時わずか一五歳で、この巨大な民衆運度を率いていましたね。政治的な教育を受けた経験が、あなたをそうさせたのですか?それとも本を読んだり、パンフレットを読んだりしたことが?

 四年前には、私は全く本というものを読みませんでした。他の香港のティーンエイジャーと同様に、ただコンピューター・ゲームをしていました。私は、政治をオンラインで学んだのです。活動家の議論を追い、異なる民主派の政党が効果的な反対派を組織化するのに、失敗するのを観ていました。フェイスブックが私の図書館だと言ってもいいでしょう。王丹の著作を読むのが好きですね。台湾に行った時に会ったことがあるのです。

――一九八九年の学生蜂起は、どの程度、今日の民衆運動の背景となっているのでしょうか?二五年後の今、六月四日の天安門事件に対する、民衆規模の追憶はありますか?

 ええ、確かに。六月四日の記憶は、今でも生きています。ですが、その政治的意味を過大評価してはいけません。ろうそくを灯した寝ずの番は、儀式のようなものになりました。それは、彼らの起こした行動への連帯と言うよりも、一九八九年の犠牲者たちへの感情的な追悼の念に、強く動かされているのです。香港政府の前の公園でハンガーストライキをしている三人に対しても、同じような反応が得られると思います。全く同じ「学生たちを守れ!」という叫びです。それは大人が若い人々を守るべきだという信念なのです。ですが実際には、私たちが彼らを守っているのです。その逆ではありません。

――学民思潮の次の一歩はなんでしょうか?政府に徳育と国民教育を諦めさせたその後は?

 カリキュラムは、引っ込められました。しかし、その隠された企図――中国共産党の香港における影響力を、ビジネス、メディア、教育に広げること――はまだそうではないことは、一目瞭然です。もし、私たちが行動を起こさなければ、再び蘇ることでしょう。それを止めるには、立法会での直接選挙が必要となるでしょうし、全ての市民に、行政長官を選ぶ権利が与えられなければなりません。そういうわけで、私たちはこの二つの要求をとりまとめたのです。

――この政治運動を立ち上げたことに対して、成功する見込みをどう見ていますか?北京に対して、伝統的な一線を越えたことを?

 ええ、もちろん前もって勝算を計算できたわけではありません。それに、民主派が、ハードルを低くすることも知っていました。基本的に、彼らの要求は、行政長官を選ぶ際には、全ての人が同じ一票であるべきだという、選挙に対して必要最低限のものでした。彼らは闘争を起こす度に、いつも負けてばかりいて、悲観的になっていたのです。彼らは、非常に限られた望みしか、持っていませんでした。
 しかし、私は自分の経験に基づいて、楽観的だったのです。大きな勝利を収めたと感じていたし、次の目標を定めるべきだと思っていたのです。行政長官に直接投票する権利だけではなく、候補者を直接選ぶ権利です。民主派は、そんなこと不可能だと見なしていました。二〇一三年の初頭に、香港大学の法学教授、戴耀廷が「愛と平和で中環を占拠しよう(Occupy Central with Love and Peace)」という運動を始めました。彼に食事に招かれて、昼食をともにしながら、彼は私にそれは理想的すぎると語ったのです。行政長官を民主主義的な選挙で選ぶというのは、香港の人々は受け入れないだろうと。

――そうした違いは、雨傘革命においてどのように現れましたか?

 戴と二人の同僚は、政府に「メッセージを送る」ために、一〇月一日に中心業務地区での平和的なデモを呼びかけました。私たちは、それを意義あるものだとも適切なものだとも思いませんでした。中心業務地区は、大量の人間が占拠するには適していないし、歩道橋から近づくことも困難ですし、週末には人気がなくなってしまいます。そこで、四日前の九月二六日に学民思潮が、政府関連施設の真ん中にあるシビック・スクエア(圓方)を取り囲む、セキュリティ・バリアを突破する役割を果たし、空間を占拠したのです。中にいた学生とともに、すぐに警官によって封鎖されたのですが、私たちによるその行動が、その後に続く運動の引き金となりました。
 バリアを突破したことで、他の何人かと一緒に、九月二七日に私は逮捕されました。私たちのうちほとんどはすぐに釈放されたのですが、私は、他の人々よりも長く、四六時間勾留されました。私が勾留されている間、警察は金鐘の学生たちを催涙ガスで攻撃していたのです。これは香港では前例のない仕打ちで、抗議者たちに民主的な態度を吹き込みました。溢れんばかりの途方もない連帯表明があり、学生たちはすぐに、運動に参加している専門家や務め人に数で優るようになりました。そして、香港の分かれた三つの場所を覆い尽くすようになり、それが八〇日間続いたのです。

――そうした出来事において、大学生が顕著な役割を果たしていましたね。その中でも香港専上学生連合が、主導的な役割を果たしていました。この組織をどのように思いますか。

 学生連合は、民主派を長年に渡って支持してきました。一九八〇年代には、中国での一九八九年の学生蜂起に、連帯を表明していました。事務局長の陶君行が北京に行き、警察による鎮圧があった夜に、最後まで天安門広場にいた一人となりました。ですが、学生連合は、議長と書記長が毎年代わるために、行動において連続性があるとは言えません。今日では、八つある大学のうち三大学のみ、七〇〇万人の人口のうちの八万人以下のみが、本当に政治的な学生だと見なされています。植民地時代からの香港大学、一九六三年に設立された沙田区の香港中文大学、一九九九年に教養学部が創設された嶺南大学です。これらはそれぞれ違った特徴を持っています。香港大学の学生新聞は、以前から香港の独立を呼びかけています。これは右派のアイディアです。香港中文大学は左派で、そのキャンパス文化はバークレーのような感じです。嶺南大学は、カルチャラル・スタディーズの牙城で、そこではほとんどの教授が進歩派なのです。三つの中で、もっともラディカルな大学です。その他の大学は政治的に無関心です。
 雨傘革命の間には、おおよそ五〇〇から六〇〇名の教員が、学生たちの闘争を支持する署名を行いました。しかし、概して公衆の問題に興味を持っているのは、政治学もしくは、社会科学の教員たちのみです。教員たちのほとんどは、全くもって進歩的ではありません。彼らは、単に研究を書き上げて、アカデミックなキャリアを追及したいだけなのです。これは、社会的により意識的な台湾と比べて、大きな対照をなしています。

――雨傘革命には、穏健派からラディカル派まで、民主派のようなもっとも穏健な勢力から、オキュパイ・セントラルのようなそうでもない勢力まで、香港専上学生連合のようなよりラディカルな勢力や、学民思潮のようなもっとも闘争的で非妥協的な勢力まで、様々な組織が参加していたと言うことは正確でしょうか?片方に熱血公民のような組織があり、もう一方には社会民主連線のような組織があったと言うことは、そのような分類に叶ったことでしょうか?

 私が思うに、民主派とオキュパイ・セントラルの指導力は、理想と行動において、等しく節度を守ったものでした。同様に、学民思潮と学生連合もまた、ラディカルな行動と理想において、似通ったものでした。私が述べたい違いとは、それぞれの状況分析の中にあります。
 学民思潮が提案して、学生連合に圓方の掌握を確信させることができたのです。さもなければ、彼らは次の行動に移ることはできなかったでしょう。北京行きは彼らのアイディアで、その線での行動には、学民思潮の半分のメンバーしか賛同しませんでした。さらに、学民思潮の中核となるリーダーたちは、学生連合のラディカルな部分よりも、ラディカルな行動を受け入れつつ予期して、警察に立ち向かって、前線に立つことを好みました。社会民主連線は、理想と行動において、いつでもこの二つの学生組織を支持してきました。
 熱血公民は、香港特別行政区基本法の書き換えのようなラディカルな行動について語りますが、それは実際的ではありません。彼らは、どのようにして成し遂げるかも言わずに、香港の独立について要求するだけなのです。彼らのスローガンも一貫したものではありません。警察の暴力に対して反撃することを支持しながら、負傷者、逮捕者なしを行動のゴールに据えるといった具合です。ですので、熱血公民を政治的にどこに分類すれば良いのか、私には本当にわかりません。

――香港独立を支持する感情は、現在どれほどの強さを持っているのですか?

 そうした意見は増加しています。ですが、真剣な見込みにおいてではありません。それに対する国際的な支持もありません。とてもラディカルなふりをした要求ですが、表面的で、そのうち消え去るでしょう。

――香港の運動は、労働組合からどのような支持を受けましたか?

 ごくわずかなものでした。脱工業化が、労働組合を非常に弱くしたのです。「ロングヘア」として知られている梁國雄が、運動に連帯の意思を表明するために、やって来ることを呼びかけたのですが、ただフリーユニオンが積極的な反応を示しただけでした!

――雨傘革命に対して賃借対照表を作成するのなら、どのようなものを作りますか?

 それは、より多くの人々が参加するにつれて、香港社会の政治的覚醒を高めるものとなりました。市はこれ以前に、大規模な市民的不服従を経験したことがありませんでした。二〇一二年の反国民教育キャンペーン――それには私も反対していたのですが――の時には、市民的不服従の要素はありませんでした。雨傘革命は、変革のための道具として、より幅広く受け入れられるものとなりました。

 私の意見では、二〇年間もの徒労に終わった決まり切ったアジテーションの後で、政治体制を変えることのできる唯一の道として受け入れられたのです。もちろん、政治的な改革としては、私たちは何かを得たわけではありません。政府は譲歩することを拒み、運動は結果として、何も目的を達成することなくして、終わりを迎えました。ですが、私たちは闘いに負けたわけではありません。なぜなら、私たちは、これよりもさらに力強い次のラウンドを始めることができるからです。

――ですが、昨年と同じ要求を再び繰り返すだけなのですか?それでは行き詰まるだけではないでしょうか?人々は、にべもなく断られた要求を繰り返すことの意味は何だ、と言うではないでしょうか?人々を幻滅させる危険を冒しているのではありませんか?

 前回のストライキでは、一万人の学生が参加しました。もし、私たちが、政治的な変革を求めて圧力をかけ続けるなら、次は五万人が参加することでしょう。直接選挙を求める闘いは、香港ではもう一〇年間続いており、それへの支持が衰える気配はありません。それは民衆の要求であり、香港の人々は粘り強いのです。この六月か七月には、非公式の住民投票を呼びかけるつもりです。普通選挙を呼びかけた二〇一四年のオキュパイ・セントラルには、八〇万人の市民が参加しましたが、それよりもさらに巨大かつ戦闘的になることでしょう。

――現在の学民思潮の強みは何ですか?

 私たちには、三〇〇人のメンバーがいます。その三〇%が大学に、七〇%が高校にいます。ジェンダー的なバランスは、六〇%が男性で、四〇%が女性です。やや少なく感じるかもしれませんが、全ての民主派を集めても七〇〇名ほどで、活動的なのはそのうちのわずかです。私たちの仕事は、自分たちの組織的な強さを高めることです。抵抗の構造を拡張し、その周りにネットワークを張り巡らせることです。ちょうど中国共産党がやっているようにね。

 私たちにとって、主なターゲットは市の高等学校であり続けています。それこそ、私たちが努力を注ぎ込んでいるところです。なぜなら、若者を味方に付けることができれば、未来において勝利することができるからです。この仕事は全くのところ簡単ではありません。なぜなら香港は試験中心社会であり、高等教育への道が限られているために、学生には集中的な圧力がかかっているからです。わずか二〇%以下の高校生のみが、大学に入学することができます。成功するには、長時間にわたる勉強が必要であり、他のことをする時間もエネルギーもごくわずかしか残されていません。だからこそ、政治的な抑圧が存在するのです。

 私たちが活動を始めた頃、学業による控除を除けば、市民運動に支払われるお金などありませんでした。しかし、雨傘革命以来、活動家には逮捕もありうることは知られているし、明らかに両親たちは、そのような危険を冒さないように圧力をかけているのです。高等学校の学生たちの中に、私たちの後継者を探し出すことは深刻な問題です。ですが、簡単に見つけることができるというわけではありません。おそらくは、時が味方になってくれるでしょう。

――ところで、ご自身の学業はどうですか?

 明らかに窮乏していますね。私は数学が大嫌いなので。ですが、二つの大規模な結集の間、ほとんど寝る暇もなく、運動のために働いていたのです。朝の九時から真夜中まで勉学に勤しむ時間なんてなかった。台湾でひまわり学生運動が勃発して、国会を占拠して中国との取引を見直すように迫った時に、私はちょうど試験にとっ捕まっていました。とてもイライラしましたよ。だから、私の成績は貧弱なものです。香港大学にも香港中文大学にも、入学することはできませんでした。だが、香港公開大学には受かりました。八つの大学のうちで、一番下ですね。あそこでは、授業のほとんどを貧弱なパワーポイントでやるのです。

――あなたが政治的な最前線から退いて以来、社会的な最前線において要求が増加していませんか?香港の途方もなく不平等な社会において、貧しく弱いものが悲惨な生活条件で生きなければならない一方で、億万長者たちはこれ見よがしに巨万の富を見せつけているのでは?政府は、労働時間、住宅問題、年金といった問題と同様に、譲歩しようとしないのではないですか?

 香港社会は根深いところで保守的です。下層階級の態度でさえ右派のそれなのです。年金について貧困層からの支持はありません。何であるにせよ「左」は、中国共産党に結びつけて考えられている。特に「左派」的であるとは言えないような、一日八時間の労働といった初歩的な要求でさえも、そうなのです。大衆の抱く信念はこうです。とにかく勤勉に働きさえすれば、成功できるし、金持ちにも成れる。もし、金持ちでないのなら、学校か職場で、良い結果を残せなかったということ。貧困がまるで、構造的な問題ではなく、個人の過ちであるかのように取り扱われているのです。
 特に高校生たちは、社会的な問題に関心を寄せていません。彼らは、単にもっと民主主義が欲しいだけなのです。彼らの思考様式はこうです。社会はもっとリベラルになるべきだ。より平等になるのではなくて。概して、もっとも人気のある科目は経済学ですが、そこでは自由市場が常にベストであり、変革は需要曲線のシフト以上のものではないと唱えられているのです。これは別の種類の洗脳だと言えるでしょう。中国共産党のものほど目立たなければ、洗脳だと感知されることもない、そういう種類の洗脳です。学民思潮を建設する唯一の方法は、政治的な要求に集中することです。

――もし、香港社会がそんなに保守的であるならば、控えめな社会的要求さえも、大衆的な支持を集めることは困難に思えます。それは学民思潮自身のダイナミックさにとって、矛盾と言えるのではないでしょうか?そこでいくつかの質問です。もし達成できたとして、香港特別行政区立法会と香港特別行政区行政長官の民主的な選挙は、いったいどのような違いをもたらすのでしょうか?結局のところ、香港は既に表現の自由や結社の自由、人身保護令状や独立した司法制度など、法の支配の意味するものを、謳歌しているのではありませんか?政治的な民主主義は、疑いもなくそれらのものが腐敗するのを防ぐでしょう。しかし、そうした消極的な効果を除いては、いったいどのような積極的な利益が望めるのでしょうか?もし、民衆が社会的経済的な現状に、完全に満足しているのならば?

 香港の社会的な雰囲気は保守的なものです。社会=経済的な問題についていえば、両親たちの関心は、彼らの子どもたちの教育と私有財産に向かっています。しかし、香港は短期間に変わるし、人々も短期間に新しいやり方に順応するのです。この保守的な雰囲気も、もし私たちが学生たちに良い影響を及ぼし、進歩的な政治家が立法会で議席を取るのを助ければ、変わることでしょう。
 もし、進歩派がより多くの議席を獲得し、より多くの資源にアクセスできるようになれば(一議席当たり、一〇万香港ドル)、少なくとも彼らは、標準労働時間や国際的な年金基準、最低賃金といった問題を擁護することができるようになるでしょう。現在の制度において、進歩派はほぼ永続的な少数派であり、人々は政治について議論することを諦めています。なぜなら、そのような議論は無益で、立法会の構造的な枠組みに沿ったものだからです。もし、民主派がポリシーの変更を支持すれば、少なくとも段階的に社会の雰囲気も変わっていくことでしょう。私たちの目標は、社会をよりリベラルなものにしたその後で、社会をより平等なものにすることです。




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翻訳:ナンシー・フレイザー「正義〔正しさ〕について――プラトン、ロールズそしてイシグロに学ぶ」
※これが載った経緯については新ブログの記事を参照にしてください

Nancy Fraser  "On Justice: Lessons from Plato, Rawls and Ishiguro" ,
New Left Review 74,March-April 2012

※本訳はナンシーフレイザー氏およびNew Left Review誌の許諾のもとに翻訳・掲載したものである。

ナンシー・フレイザー 「正義〔正しさ〕について――プラトン、ロールズそしてイシグロに学ぶ」


正義〔正しさ〕は、さまざまな徳〔よい特質〕のなかでも特別な地位を占めています。はるか古代、しばしば正義は徳の主人、つまりそれ以外の徳すべてを秩序づける唯一の徳だと考えられていました。プラトンにとって、正義とはまさにこの支配的な地位にありました。彼は『国家』のなかで次のように説いています。一人の人間の中には、魂の三つの部分――理性、精神、欲求――とそれぞれに関係する三つの徳――知恵、勇気、節制――があり、それぞれが互いと適切な関係を保っている。社会における正義も同じようなものだ。社会では、それぞれの階級が、他の階級の邪魔をすることなく、それぞれの性質にふさわしい仕事をこなすことで、それぞれの階級独自の徳を行使している。知恵と理性にあたる階級は統治にたずさわり、勇気と精神にあたる階級は軍事にたずさわり、残りの部分、つまり特別な精神や知性はないが節制にすぐれている階級は農業や単純作業にたずさわる。正義とは、こうした構成要素の間に調和がとれていることなのだ、と 。(註1)

 現在のほとんどの哲学者は、プラトンの視点を細かな点で否定しています。それぞれ全く違う生活をおくる永続的な統治階級、永続的な軍事階級そして永続的な労働者階級の三つにがっちりと階層化している、これが正しい社会だ、などと信じている人は今日では皆無でしょう。ただし、多くの哲学者は、プラトンの次の思想は受け入れます。すなわち、正義は多くの徳のうちの単なるひとつではなく、徳の主人、あるいは超越的な徳として特殊な地位にあるのだ、という思想です。この構想の一つのバージョンが、ロールズの執筆した『正議論』にあらわれています。その本でロールズは、「真理が思考体系にとって第一の徳であるように、正義は社会制度にとって第一の徳である」と述べています (註2)。そこで彼が言わんとしているのは、正義が最上級の徳であるということではなく、むしろ、正義はそれ以外の徳すべてを発展させる基礎を保障する、根底的な徳であるということなのです。理論的には、さまざまな社会編成からさまざまな徳を見つけることができます――例えば、その徳は効率的であることだったり、秩序的であることだったり、調和的であることだったり、ケア的であることだったり、高貴であることだったりするかもしれません。しかし、そうした徳を実現できるかどうかは、ある前提条件、すなわち、そこで問題となっているその社会編成が正しい〔正義にかなっている〕という前提条件にかかっています。したがって、正義とは次の意味で第一の徳であるといえます。すなわち、それ以外の徳が社会的にも個人的にも発育できるだけの肥えた土壌を私たちが作ろうと思った場合、そもそも構造化された不正義を打倒することによってしかそれは為し得ないのです。

 私の見立てどおり、ロールズのこの考えが正しいとすれば、そこでの社会編成を評価すること、これが私たちの問うべき最初の問題となります。すなわち、その社会編成は正しいのか?と。それに答えるには、ロールズの別の知見が参考になるでしょう。すなわち、「正義の第一の主題は、社会の基礎構造である」。この文章は私たちの関心を、社会生活についてすぐ思い浮かぶような雑多な特徴から離れさせ、それらの根底にある文法原理へと向かわせます。文法原理というのは、社会活動の基本的な語られ方〔言葉の用いられ方〕を定めている制度化されたグランド・ルール〔社会の土台にある規則〕のことです。このルールが正しく秩序立てられている場合にのみ、その他のより直接に体感できるような日常生活の側面も正しくなれるのです。確かにロールズの正義に関する見方は、――プラトンのそれと同様に――問題がないとはいえません。正義というものをもっぱら配分的な関係のなかで判断できるとする考えは、「原初状態」という道具立てと同様に、窮屈すぎます。とはいえ、本論との関係では、正義を検討するにあたっては社会の基礎構造に焦点をあてるべきだ、というロールズの考えに依拠することにします。このアプローチについて説明し、その威力をお伝えするため、カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』(註3) を取り上げたいと思います。

 この物語は、ある特殊な社会秩序で生きるキャシー、トミー、ルースという三人の友人を軸に展開します。彼(女)らは最初、ヘールシャムと呼ばれるイギリスの全寮制学校で暮らす子どもたちとして登場します。ところが物語が進展するなかで、実はその子どもたちがクローンだったことが明らかになります。彼(女)らは臓器をノン・クローンに提供するために造られた存在だったのです。ここではノン・クローンのことを「オリジナルたち」と呼ぶことにします。小説の第二部で主人公たちはヘールシャムを離れ、過渡的な住居として寂れたコテージに移り、そこで「訓練」に備えます。今や若者となった彼(女)らはライフワークである「提供」の開始に備え、「提供」は最多で四回の手術をもって「使命完了」となります。第三部では、主人公たちが立派な青年になっています。トミーとルースは「提供者」になっており、他方でキャシーは臓器摘出手術を受けた者の回復を世話する「介護者」になっています。トミーとルースが「使命を終えた」後、キャシーは自分の役割を継続することができないと感じるようになります。彼女が自身の「提供」に従う覚悟を決めた時点で物語は終わりを迎えます。

 『わたしを離さないで』という作品が訴えかける力はものすごく、初読の際、私は悲しみに打ちひしがれてしまいました。いえ、それは控え目な表現で、実際のところ、本を読み終えたとき私は思わず泣きじゃくってしまいました。何人かの批評家は、同書を遺伝子工学の危険を描いたディストピア的SF作品だと評しました。また、希望に溢れた世間知らずの青年が物事を考える知恵を学び、世界をそれ自体として受容していく過程を描いた教養小説だと評した批評家もいました。私に言わせれば、どちらの解釈も全くの的外れです。確かにどちらの解釈も作品の一つの側面を言い表してはいます。しかしどちらも、作品の中核にあたる部分を見落としています。私の読む限りでは、『わたしを離さないで』は正義〔正しさ〕について深く考えられた作品です。――不正義な〔正しくない〕社会と、その社会の住人がこうむる深刻な苦しみについての強烈なヴィジョンが示されているのです。

スペア・パーツ

 本書はどのような洞察を私たちに示してくれているのでしょう? その最も重要なものは、正義についてその否定を通じて考えさせるという点です。プラトンとは違い、イシグロは何らかの正しい社会秩序というものを提示しようとはしません。そのかわりに、これは絶対に正しくないと読者が考えるようなひとつの社会秩序を冷徹に描き出します。これが重要なポイントの一つです。つまり、正義〔正しさ〕をじかに体験することは決してできないということです。反対に、私たちは不正義を体験しますし、むしろその体験を通じてしか、正義という考えを形作ることができないのです。不正義だと思われるものの性質をしっかり見定めることからしか、そのオルタナティブへの感覚を得ることはできません。不正義を打倒するものが何かをじっくり考えるときにしか、さもなくば抽象的になりがちな私たちの正義概念に具体的な内容を盛り込むことはできません。したがって、「正義とは何ぞや?」というソクラテスの問いには、こう答えることができます。正義とは、不正義の打破である、と。

 では、どのようにして不正義を認識すればよいのでしょうか? 『わたしを離さないで』に描かれる社会秩序がなぜ、そしてどのような点で不正義かを問うとすれば、即座に思いつくのは次のような答でしょう。この社会秩序が不正義なのは、それが搾取的であるからだ、と。クローンたちはオリジナルたちのために造られ、維持管理されます。彼(女)らはオリジナルたちの資源です。そして必要な時に彼(女)らの身体から切り取られオリジナルたちの身体へと移植されるスペア・パーツの歩く貯蔵庫なのです。彼(女)らが生き、苦しみ、時には死ぬことによって、オリジナルたちはより長寿で健康的な生活を送ることができるのです。オリジナルの目的のための単なる手段、それ以外に彼(女)らに与えられた固有の価値はありません。彼(女)らのニーズや興味関心は、全く聞き入れられないか、仮に聞き入れられる事があったとしてもオリジナルのニーズが優先されます。言葉を換えると、クローンたちは正義の主体としてはカウントされていない〔数にかぞえられていない〕のです。考慮や尊敬の対象から除外されているため、クローンたちをオリジナルたちと同じ道徳世界に属していると見ることはできません。

 ここに、排除、アイデンティティそして他者性に関わるイシグロの鋭い洞察がみられます。クローンたちは、オリジナルたちとはそもそもカテゴリーが異なるとされるため、道徳的な考慮から排除されうるのです。この基礎的で、存在そのものに関わると称される他者性こそが、彼(女)らをオリジナルたちから排除し、生涯にわたって隔離することを正当化しているのです。外部との接触が断たれた、クローン同士と彼(女)らの教師だけ――イシグロは教師のことをプラトンにならってか「保護官〔ガーディアン:守護者〕」と呼んでいます――の交流からなる自閉的な世界であるヘールシャム、このような特殊な空間に彼(女)らを追放することには、機能的な意味があるのです。クローンたちとオリジナルたちを直接に接触させないことで、お互いの類似性を体験させないようにしているのです。その類似性は、存在そのものが違うはずだというさっきの前提と矛盾しかねないからです。そして、もちろん、この前提は矛盾しています。実際には、クローンたちはオリジナルたちの遺伝子レベルでの正確なレプリカです。クローンがオリジナルにとって有益なのは、彼(女)らがオリジナルと生物学的には区別できるという事実に基づいています。そうであれば、クローンとオリジナルは主体としては別ものであるということになり、クローンたちも彼(女)ら独自の経験や記憶を持っています。しかし、遺伝子上はこの二つのグループは完全に同一の関係にあり、その類似性は不気味で耐えがたいほどです。このことが深刻な不安をもたらすことになるのだろうと想像がつきます。つまり、もしそうだとすれば、オリジナルとしては、自分たちの存在そのものに関わる地位は絶対に違うのだとどうしても言いたくなるでしょうし、それゆえ道徳的配慮の世界からクローンたちを排除することを正当化したくなることに説明がつきます。

 それにもかかわらず、イシグロが示しているように、実際にはクローンたちはオリジナルたちと同じ社会的な協働関係の枠組みにたずさわっています。彼(女)らはロールズのいう同じ社会の基礎構造に属しています。一人の生命が別の生命のために犠牲にされること、そしてクローンのこうむる被害を無視してオリジナルの利益のためにその生命を使うこと、こうしたことを規定している共通のグランド・ルールがあり、二つのグループはそのルールのもとで一緒に暮らしています。それゆえ、二つのグループは、共有された単一の生物経済、つまり生死を管理運営する〔生政治的な〕共通の基盤にたずさわっています。オリジナルたちは自分自身の生存のためにクローンを頼りにしていますが、クローンたちに対等なパートナーとしての地位は認めません。

 私たち読者にしてみれば、この状況は不正義です。正義の主体にカウントされる人々――これはオリジナルだけです――の小さなサークルと、社会の基礎構造に一緒に属している人々――こっちはオリジナルとクローンの両方です――によるより大きなサークルとの間にミスマッチがあることがわかります。そして、私たちはこの矛盾を道徳的に間違っていると思うのです。それゆえ私たちにとって正義の要求とは、グランド・ルールに服しているすべての人々が、同じ道徳世界に属しているという点でメンバーにカウントされていることを意味します。一部の参加者が他人のための道具にされてはなりません。彼(女)らすべてが平等な考慮に値する存在です。この理由ひとつをもって、『わたしを離さないで』で描かれる社会秩序はきわめて問題があるといえるのです。

知るのが怖い情報

 けれども、この本で描かれる世界の本当に恐ろしいところは、別の点にあります。それは、主人公たちが私たちのようには世界を認識していないことです。クローンたちは彼(女)らの状況を不正義だと思ってはいないのです。彼(女)らは、前述したきわめて搾取的な秩序のために造られ、そこに適合させられています。それが彼(女)らの知る唯一の社会なので、その社会の語られ方は彼(女)らにとって偏りのない当たり前こととして受けとめられるのです。ただ、そのような前提があっても、彼(女)らの一人であるトミーはよく怒ります。ヘールシャムに住んでいた子ども時代、彼ははっきりした理由なしによく感情を爆発させます。ところが、彼の最も親しい友人であるキャシーも含めて、他の人は彼の怒りを個人的な問題として処理します。彼が怒るのには実は何かもっともな理由があるのかも知れない、などと考える人は、トミー自身も含め、誰もいません。全員が彼を何とかして諌めようとします。トミーが成長しコテージの住人になるころには、彼は自分の怒りをコントロールするようになります。そこに残るのはほんのわずかな悲しみだけです。その悲しみには、何か形容しがたい内面の深みを思わせるものが漂っています。

 ここにもイシグロの別の重要な直感をみてとれます。もちろん、不正義を考えるうえで重要なのは、客観的に被害者となっていることです。つまり、誰かが別の人々を搾取し、正義の主体として扱われるべき彼(女)らの道徳的地位を否定しているという、構造的な関係が重要なのです。ところが、搾取される側がその状況を不正義だと解釈する手段を欠いているとき、その被害は見過ごされてしまうのです。これは意図的な操作によって起こすことができます。――たとえば、搾取する側がその不正義を充分に理解しながら、搾取される側にそれを隠すような場合です。しかしながら、それはもっと微妙な方法で起きることもあります。――たとえば、表面上は民主主義的な社会の公共圏が、個人を問題とし、被害者を非難するような言論にあふれかえっていながら、他方で構造的な視点がほとんど取り上げられないような場合です。もしくは、殺人的な現実を語るのに、何か高尚な響きをもつ、漠然とした、遠回しな語られ方が慣習的に用いられる場合も考えられます。――この例としては、臓器の強制摘出手術を「提供」と呼んだり、組織的な殺人を「使命完了」と呼んだりすることがあげられます。このような場合、支配的な解釈枠組みが物事の感じ方、体験に影響を及ぼし、搾取する側の利益に奉仕することとなってしまうのです。反対に、搾取される側は、彼(女)らの体験をうまく表現できる言葉を持っていることはほとんどありません。まして、一つの階級として彼(女)らの利益を明瞭に表現できるような手段を持っていることなど、実際は皆無に等しいのです。このことは、不正義の別の側面、別のレベルをあらわしています。すなわち、社会の解釈手段やコミュニケーション手段がそのメンバー全てに等しく奉仕するわけではない、ということです。

 こうした条件のもとでは、被害者は、彼(女)らの状況に適切に反応するのに必要な本質的条件を欠いているといえます。不正義への適切な反応とは、私たちにとっては当然、怒りです。しかしながら、そうした反応が可能になるには、搾取される側が、自分の置かれた状況を単に不幸なのではなく不正義だ〔正しくない〕とカテゴライズできる解釈枠組みを入手できなくてはなりません。それができなくては、彼(女)らは自分自身を責めるようになるでしょう。彼(女)らの劣悪な立場を当然のことだと思うようになれば、彼(女)らは自分の正当な怒りを抑えてしまい、自分の首を絞めるようになります。したがって、言論の社会構成に不正義があれば、それは心の中に死の灰を積もらせていくことになるのです。

 『わたしを離さないで』ではこうしたことが重層的に作用しています。第一に、ヘールシャムでのほとんどの期間、主人公たちは自分がクローンであることを知りません。彼(女)らが置かれている社会秩序の語られ方に無知であるため、彼(女)らは、自分が上位階級に身体の一部を供給するために育てられているという事実を知りません。小説第1部の一番の見所は、登場人物が自らの置かれた状況の異常さに遭遇していく、つまり、比較的ほのぼのした学校生活に横たわる別の暗い現実をほのめかすヒントに遭遇していく一連の出来事にあります。その間、最初は何も知らなかった読者も事の真相を理解するようになります。――そして、クローンたちもそれを知ったときにはどうなるのだろうと固唾を吞みます。ところが、劇的な暴露はいつだ!という私たちの期待は、なかなか叶いません。むしろ私たちは、主人公たちが何度も真実に迫りながら、いつも一歩手前で引き返してしまうことに唖然とするようになります。そうした知るのが怖い情報を受けとめることができずに、彼(女)らはヒントを無視し、異常さを遠ざけるような説明をし、悲惨な真実から自分を守るためにどんどん複雑な理屈を作り上げていくようになります。

 もちろん、ヘールシャムのスタッフは子どもたちの無知を助長します。一人の教師が、自分と全く変わらないように見える生徒へのシンパシーに一時負けてしまい、真実を漏らして即座に解雇されます。クローンたちが事態を受け容れられるようにするため、真実はできるだけ小出しにするべしという施設の方針に、彼女は違反したのです。この技術は、沸騰した鍋に投げ込まれるとすぐに飛び出して逃げる、あの有名なカエルの話を彷彿とさせます。ただし、鍋のお湯を冷水にして、それを徐々に温めていったら、カエルは煮え死ぬまで静かに鍋の中にいます。情報を点滴するようなヘールシャムの方針は、子どものクローンを鍋のなかに置いておくようなものです。

人間性と権力

 ついに彼(女)らは真実を知ります。ところが、その時点で彼(女)らは怒りの感情をあらわにしません。怒るかわりに悲しみの表情をうかべ、主人公のクローンたちは自らの状況を不幸だと位置づけます。その状況――というか、その状況の根底にある基礎構造――を不正義だとは判断しません。デモや革命を考えることもしません。反対に、彼(女)らは幸運頼みの逃走に固執するようになります。特に彼(女)らは「延期」の可能性に取り憑かれます――これは、ベトナム戦争期のアメリカの大学生にとっては徴兵免除を思い起こさせる、もう一つの興味深い単語の選択です。さて、『わたしを離さないで』では、特殊な事情のもとでは臓器摘出手術が三年間猶予されるという話が、クローンたちの間に広まります。その噂によれば、延期の資格を得るには、クローンのカップルが心から深く愛し合っていることを示さなければならないとされます。

 愛し合うことが強制摘出手術を猶予する基礎になるというのは、イシグロの独創的な考えです。この特殊な都市伝説は、感情的な個性と本来の価値との間につながりがあるという仮定のうえに成り立っています。その前提として、従来は付帯的な価値しか持っていない、つまり、他の目的のための単なる手段でしかないと思われていた存在が、それ自体で価値があり考慮に値する存在へと一時的にであれ昇格していることがわかります。さらにその前提として、この突然変異を可能にするものがその存在の内面性と個性であることがわかります。ロマンティック・ラブという感情的体験のなかで具体化されるようなものですね。そこで価値を付与しているものが何かといえば、個人の主体性です。

 青年のクローンたちはこの考えに一縷の望みを託します。この考えが彼(女)らに与えるのは、三年間身体が健康であることの期待だけではありません。それ以上のものがあります。すなわち、この考えによって、彼(女)らは自分たちが歩くスペア・パーツの寄せ集め以上の何かであると思うことが許されるのです。この考えから、彼(女)らはそれぞれが独特の人生を歩む、唯一無二の個人であり、かけがえのない人間であることを教わるのです。では、この考えをクローンたちはどこで手に入れたのでしょう? ヘールシャムです。物語を読み進めると、その施設が、それまでクローンたちを格納していた劣悪な施設に取って代わる、進歩的な代替案として設立されたことが明らかになります。それらの生物学上のレプリカが置かれた状況にショックを受けたセンチメンタルでリベラルな改革者たちにより、クローンに教育を施し、魂を持っていることを示すための特別な制度が計画されたのでした。学校では創造的に自己表現することが強調され、クローンたちに芸術作品を製作させます。優秀作品は展示館に展示されるのだと、彼(女)らは噂します。後にトミーが若者になって「延期」を得ようと模索するとき、彼は芸術の作製によって事を解決しようと決意します。彼は絵を描くことで彼の愛の深さを証明しようとするのです。

 ここにもイシグロの(不)正義への洞察が貫かれています。すなわち、個性というのは諸刃の剣だということです。一方でそれは、人間性と本来の価値のしるし、つまり、道徳的考慮をうけるための入場券です。しかし他方でそれは容易に権力の策略、つまり、支配の道具にもなります。搾取的な社会秩序についての構造的理解と切り離されたとき、個性はカルトの対象となり、批判的思考を妨げるまやかしとなり、不正義の打破にとっての障害となるのです。「民主主義的な」大量消費社会では、個性というものは主要なイデオロギー形態であり、主体を混乱させる常套手段です。私たちが自分の生活に責任を持てと勧められるのも、私たちの切なるあこがれを単に日用品を買ったり持ったりすることで埋め合わせるように推奨されるのも、集団行動ではなく「個人的解決」に向かうのも、すべて「個人」としてです。――もちろん、尊くかけがえのない自分自身のために延期を模索してしまうこともそうです。

 イシグロはこの個性のパラドックスを見事に描いています。彼の描く世界でもっとも残酷なことは、主人公たちが騙されている、いわば、まがい物をつかまされていることです。彼(女)ら自身の思考は個人として社会に適合させられているため、彼(女)らはたとえ真実が明らかになってさえも考えを変えることができないのです。彼(女)らは実際にはスペア・パーツの容器であり、解体されるために造られているという真実が明らかになってさえもです。わたしが泣いてしまった場面は、今や30代になったキャシーによって語られる、本の最後の数行です。「介護者」として彼女は最後の10年を、トミーやルースなどの親しいクローンたちの看護をして過ごしました。彼女は、次々と臓器を奪われ弱っていく彼(女)らの身体の世話をしたのです。彼女は彼(女)らを生かさせ、更なる「提供」を可能にさせなければなりませんでした。そのためには、自分たちは人間の「がらくた」の模型でしかないというルースの絶望的な訴えをはねつけてでも可能な限りの慰めを与えました。二人の友人も逝ってしまい、キャシーは自分の仕事を続けることができないと感じるようになります。彼女自身の「提供」の開始を決意することで、彼女は「使命の終わり」を見越し、人生を振り返ります。「わたしの大切な記憶は、以前と少しも変わらず鮮明です。わたしはルースを失い、トミーを失いました。でも、二人の記憶を失うことは絶対にありません。」彼女は過去の残滓を追い求めることはすまいと決めるのですが、思い出してしまいます。

  「一度だけ、自分に甘えを許したことがあります。それは、トミーが使命を終えたと聞いてから二週間後でした。用事もないのに、ノーフォークまでドライブをしました。とくに何をしたかったというわけでもなく……何もない平野と大きな灰色の空を見たかっただけかもしれません。途中、通ったことのない道路を走っていました。三十分ほどは自分がどこにいるかわからず、でも気にもなりませんでした。……何エーカーもの耕された大地を前に立っていました。柵があり、有刺鉄線が二本張られ、わたしの立ち入りを禁じています。見渡すと、数マイル四方、吹いてくる風を妨げるものは、この柵と、わたしの頭上にそびえる数本の木しかありません。柵のいたるところに――とくに下側の有刺鉄線に――ありとあらゆるごみが引っかかり、絡みついていました。海岸線に打ち上げられるがらくたのようです。何マイルもの遠方から風に運ばれてきて、ようやくこの木と二本の有刺鉄線に止めてもらったのでしょう。木を見上げると、こちらでも、上のほうの枝にビニールシートやショッピングバッグの切れ端が引っかかり、はためいています。そのとき――不思議なごみを目にし、平らな畑を渡ってきた風を感じながらそこに立っているとき――わたしは少しだけ空想の世界に入り込みました。……木の枝ではためいているビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを考えました。半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。いま、そこに立っています。待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました……。空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました。顔には涙が流れていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。しばらく待って車に戻り、エンジンをかけて、行くべきところに向かって出発しました。」(註4)

 ここでのキャシーの語りは、次のような人々すべてを代弁しています。すなわち、私たちの社会秩序によって個人として振り回され混乱させられている人々、そしてその社会秩序にスペア・パーツとして扱われている人々――低賃金工場労働者として、農家として、使い捨て労働者として扱われている人々、臓器や幼児やセックスの提供者として扱われている人々、卑しいサービスの従事者として、ごみの清掃業や処分屋として扱われている人々、システムの望むままに使い尽くされ、すりつぶされ、棄てられる原料として扱われる人々。別の時代には彼(女)らは「地に呪われたる者たち」と呼ばれました。しかし今日では彼(女)らは、そのように呼ぶことが相応しくないほど、どこにでもいるし、すぐそこの近所に住んでいます。その呼び名に代えて私たちは彼(女)らを「99パーセント」の大部分だと位置づけましょう。キャシーはこうした全ての人々を代弁していますが、動員をかけようとはしません。むしろ彼女は、自分の短く悲惨な人生を通じて遭遇したあらゆる傷、混乱、自己欺瞞、裏切られた希望、あこがれといったものを表現します。なかんずく彼女は、毎度のごとく社会秩序に貶められてきたにもかかわらず、尊厳の問題に頑なに訴えようとします。そしてまた、彼女の社会の基礎構造が彼女の持つ意味に残骸以外の何物も認めなかったとしても、彼女は必死に意味づけをしようとします。このあまりに人間的な痛ましい感情の坩堝こそが、救われないクローンの言葉をこれほどまでに感動的なものにしているのです。

フィクションから実践へ

 さて、そろそろ『わたしを離さないで』の世界から離れることにしましょう。その世界の哀愁はいったん脇に置き、そこから私たちが学びうる現実的な方策について考えましょう。イシグロの数多くの洞察は、私たちの世界にどのように適用できるのでしょうか? 第一に、正義を否定的に、つまり不正義を通じて把握するという戦略は非常に有効だということです。プラトンには失礼ながら、私たちは何かが間違っていることを知るために正義が何かを知る必要はありません。むしろ私たちに必要なのは、不正義への感覚を研ぎ澄ますこと、事態を不明瞭にするものやイデオロギーを取り払うことなのです。間違いに目を向けながら、なぜそうなっているのか、そしてどうすればそれを正しくできるのかを決定していかなければなりません。こうした否定を通じた思考を重ねること、これが正義の概念を活性化させ、正義を抽象世界から取り戻し、具体化し、豊かにし、この世界にとって意味あるものにできる唯一の方法なのです。

 第二に、ここでもプラトンとは反対に、本質的な差異の構造とされるものに用心しましょう。それはつまり、保護者と労働者、内と外、市民とよそ者、西洋と非西洋、こういったものの間に線を引く怪しげな企てのことです。また、ひと揃いの権利が「私たち」にあり、それとは別の権利が「彼(女)ら」にあるという二元的な社会秩序を正当化するときによくもちだされる、存在そのものの差異といったものにも用心しなければなりません。このような企ては往々にして同一化の不安を覆い隠し、正義を見誤らせます。「カウントされる」人々の世界から誰かを排除するという大間違いにお墨付きを与えてしまうのです。第三に、他者性にかかずらうのはやめにして、ロールズ(そしてマルクス!)とともに「基礎構造〔下部構造〕」に注目するようにしましょう。誰が道徳的考慮に値するのかを知るのに必要なのは、社会的な協働関係の語られ方を定義づけている共通のグランド・ルールに一緒に属しているのが誰かを決定することです。もしグランド・ルールが、あるグループに対する別のグループの搾取的な依存を制度化しているのだとすれば――たとえば、臓器、労働力、幼児、セックス、家事労働、育児、介護、清掃、ごみ処理といったものについて考えることができます――、二つのグループは同じ基礎構造に属しています。どちらのメンバーも同じ道徳的世界に住んでおり、正義問題について等しい考慮に値する存在です。

 第四に、正義を見誤らせ、誰かを道徳的地位から排除する間違ったアプローチに警戒しましょう。そして、同じ基礎構造に属していながら主体の範囲が重ならない場合に注意しましょう。それゆえ、私たちは、ロールズに反して、形式的な市民権の有無が、カウントされるかどうかの決定要因だとする人々に異議を唱えなければなりません。そのような人々は、国家を越えたグローバルな社会秩序のなかで必ず正義を見誤ることになります。第五に、構造的な不平等を個人的な問題だと再定義する傾向に疑問をぶつけましょう。人々の不利な状況を彼ら自身の失敗のせいにするような解釈の粗探しをするのです。そして、先頭を突き進んでくれている人が発する怒りといった感情を削ぎ落とすような動向をはねつけましょう。怒りは、不正義を判断するのに有用なものです。それゆえ、人の特性だとか国民性とかいったものに基づく説明は無視して、階層化の大きなパターンや、序列をもたらす因果的メカニズム、そしてそれらを隠蔽する、個人に問題を還元するようなイデオロギー戦略、こうしたものに目を向けるようにしましょう。

 第六に、きちんとした批判や明確な対抗手段がないからといって、そこに不正義が存在しないなどと思ってはいけません。むしろ、不正義への組織的な反対は、その不正義を明瞭に表現できる言論資源や解釈枠組みを入手できるかどうかにかかっていることを理解しましょう。政治的発言への平等なアクセスを妨げるバイアスが公共圏にないかをチェックし、社会問題に名称を与えてその原因を論じ合うことを可能にする語り方を広めることで、そのバイアスを打ち倒すには何がどれくらい必要かを冷静に計算しましょう。第七に、一面的な個人化を讃える声に疑いの目をむけましょう。そして、愛、内面性、私生活といったものを崇拝する社会に気をつけましょう。その社会は他方で、そういったものを実現するための物質的条件を大多数の人々について認めないシステムになっています。主体に関する問題と客観に関する問題を再び接続しましょう。最後に、抑圧された人々の創造力に敬意を払いましょう。たとえきわめて不利な状況にあったとしても、よりよい生活へのあこがれや人生の意味を探すドライブを実現可能にしましょう。そして社会の怒りと政治的想像力を育みましょう。さあ、私たちで正義を徳の主人にしましょう――理論だけではなく、実践においても。


註1 このエッセイは、2012年2月13日にバルセロナの現代文化センターで行われた「徳」に関する連続講演の一コマで話した内容である。

註2 John Rawls, A Theory of Justice, Cambridge, MA 1971, P. 3.

註3 Kazuo Ishiguro, Never Let Me Go, London 2005. カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『わたしを離さないで』(早川書房、2008年)。

註4  Ishiguro, Never Let Me Go, pp.281-2. 邦訳438-9頁。
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こちらのブログも生きてますが、新しいブログに引っ越しをしています。


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fuf労働法ブックレット

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知って得する簡単な労働法。
知らないと損です、当たりまえ。


※訂正 現在、福岡県の最低賃金時給は701円です。

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『日本のワーク・ライフ・バランスを考える』
 『国際比較の視点から 日本のワーク・ライフ・バランスを考える 働き方改革の実現と政策課題』
 ミネルヴァ書房 武石恵美子編著 2012年発行


8月に、某医療機器会社との時間外労働賃金の未払について解決したこともあって、その解決金の一部で購入したのが、この本。

世の中に蔓延する時間外労働、そして未払賃金(世間ではサービス残業というらしい)。

「働き方の現状に関して問題意識をもっている人は多い。現在働いている人も、そうでない人も、今の働き方で問題がないとおもっている人は少数だろう。…」

というような書き出して始まる。

そうなんだろうなとも、思えるし、本当にそうなんだろうかとも思う。
めちゃくちゃ言えば、多くの人が必死で働くことにしがみついているようにも思えるからだ。
そうでなければ、この本で調査研究するまでもなく、日本の労働時間欧米に比して、圧倒的に長く、休暇も取れていないことは、明らかだから。

ちょっと視野を広げてものを見て考えてみるためにも、他の「先進国」の働き方を知ってみるのもいいのではないかということで、この本を購入しました。

オランダの例を少し挙げると、オランダの奇跡と呼ばれる、オランダのパートタイム経済、パートタイム社会とも呼ばれるパートタイム労働者の割合が他の先進国に比べて突出して高いにもかかわらず、正規労働者との差別なく。良質の短時間雇用機会が、未熟練労働だけではなく広範囲の仕事において存在するということ。

短時間労働で、いかに暮らしやすく生きていくかを、追求していくため、労働=働くことの意味を考えていきたいですね。



| レビュー:注目の書籍、映画など | 11:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
今、「マルクスの資本論」を読む学習会のお知らせ
マルクス資本論を読む学習会へ


ここ数年、葬られ去ってしまっていたマルクスが亡霊のように甦っています。

『30分でわかるマルクス資本論』なんて本が、500円(ワンコイン)で、コンビニの本棚に並べられているのですから!
これぞ資本主義!?

とはいえ、この機に真面目にあるいはまったりと、「マルクス資本論」に触れてみることは、大いに意義ありではないでしょうか。

fufでは、もちろん「資本論」なんて手に取ったこともないものたちばかりが集まって、学習会的なものをやることになりました。

的場昭弘著『マルクスだったらこう考える』じゃないですが、今の時代に、マルクスが生きていたら、どう考えるんだろうなってなくらいで、みんなでマルクスに出会ってみようではないの?

という学習会です。

マルクスって聞いたことあるけど、何?っていう方、歓迎!
知ってるけど、一言言いたいという方も歓迎!


■学習会資料より

資本論について

●カール・マルクス著の資本論と聞くと、共産主義のバイブルと思われる方が多い。
 特に現代日本では、良いイメージは決してないであろう。
 しかし、資本論は本来、経済学書である。
 資本主義について、冷静に分析した本である。

●「資本主義体制の如実の姿を解明した『資本論』の学術的展開は、一見時代遅れの印象を与えるのだが、それは材料の面での印象でしかなく、学術的な叙述の達成の面からみれば、これをしのぐ著作はいまだに現れていない。その意味で資本論は、資本主義認識にとって乗り越え不可能と称しても、必ずしも言いすぎではない」
筑摩書房 マルクスコレクション『資本論』(下)P.602今村仁司訳





9月7日(金)午後7時から いつものfuf事務所にて
交流会ありです。




| 集会・行動などの告知 | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
河合楽器製作所団体交渉報告的なこと
8月31日の午後、カワイ音楽教室長崎事務所事案についての団体交渉を、行いました。
関西支社から足を運んでのfufとの団体交渉、すでに5回を数えています。

河合楽器製作所は、組合の要求に対して、必ず文書での回答をなし、話し合いを設定し、その場の対応も丁寧で、私たちの要望を黙って聞き入れ、そしていつも課題を持ち帰ります。
にもかかわらず、要求事項の具体的な改善に繋がらない、そのような状況がいつまで続くのかと、怒りを覚えるのも事実ですが、関西支社から出てくる担当のT氏に、その解決能力というかその判断裁量や権限はほぼないのだと、団体交渉を重ねていれば誰でもわかることです。

だがしかし、そもそも、この河合楽器製作所というそれなりに「伝統」のある老舗の音楽会社が自身が、この時代に活性化していく力があるのかと、そのようなやや冷ややかな気持ちになるのも事実です。



  昨夜、クローズアップ現代で「社長がいない〜求む!グローバル時代の経営者」という番組をやっていました。
 グローバル化したこの時代の経営を継ぐ「社長」になる人間が、自社にいないというのです。
 そのような企業が6割を占めるというのです。

グローバル化しようが、しまいが、そのようなことが直接的には関係ないと思いますが、後継の社長がいない、会社を組織を継承していく人材がないということは、その組織はすでに「終わってる」ということではないのでしょうか。

外部から、その後継を連れてくるというようなことが、全く間違っているとは言いませんが、それも含めて、継承していく手段としてやっていけばいいことであって、今、ここに継承者がいない、会社を経営するに値する人材がそこにいないという事実に、ざまざまなことを思わざるを得ません。


組合が、解雇の撤回や労働条件改善を求めて、団体交渉を行うときに、一番重要なことは、組織を背負って、判断し、決断できる役職を、その場に参加させるかどうかということです。

責任を持って組織を背負える人材を育て、継承することのできない会社など、それはもう、つぶれてしまってもやむを得ないのではないかと、思うしかない面もあります。

つぶれれば、残された労働者はどうするのか?という問題はありますが、それも含めて「組織」の責任であり、現実なのではないかと思う、今日この頃であり、河合楽器製作所との団体交渉を継続しつつ、思うことでもあります。

次の団体交渉にこそ、この河合楽器製作所を背負って、判断のできる方を、私たちの前に座らせていただきたいと思います。

それができなければ、この河合楽器製作所に、会社としての展望はないし、ここで働くすべての委任講師の将来などあり得ないのだと考えます。

fufは、社会的責任を持って、河合楽器と団体交渉を行っているのであり、闘う委任講師の将来に展望をもたらしすために、団体交渉を行っているのです。

月末までのご回答、よろしくお願いします。
| 河合楽器・カワイ音楽教室 闘争 | 07:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
生活保護バッシングに対する声明(フリーター全般労組)東京
東京のフリーター全般労組が以下のような声明を発しました。
fufも、生活保護受給によって生存を維持している組合員がいます。
顔の見える仲間の生存のためにも、声を大にして行きたいことです。


 

[]

===================
生活保護バッシングに対する声明
===================


生活保護バッシング・削減の先にプレカリアートにやってくるもの
  〜スルーしてみろ、すべての労働・生存がやられるぞ〜

(*プレカリアート:新自由主義下で不安定な労働・生存にさらされている人々)  
                                  
2012年8月27日
フリーター全般労働組合                  
フリーター全般労働組合生存部会

これで何度目のことか。
生活保護バッシング、水準削減がやかましい。
「不正受給がまかり通っている」
「財政が厳しいからお金は出せない」

敵はつけ込んでくる。声小さき者に。
「苦労しているあなたよりカネを貰っている奴らがいる」
「“不公平”は 正されなければならない」

だけど本当にそうか?
生活保護費利用者をバッシングすれば、プレカリアートは解放されるのか?
保護費を削減すれば、格差はなくなるのか?

だまされてはいけない。スルーしてはいけない。こんな古臭いやり方。
「“ユダヤ人”を“殲滅”すれば・・・」

現実はこうだ。
生活保護利用者をバッシングすれば、より助けを求められなくなる。餓死者が増える。
保護費を削減すれば、最低賃金も、他の社会保障も一緒に下げられる。
ワリを食うのは「富裕層」ではなく、いつ失業してもおかしくない、
劣悪な労働市場や関係性にさらされている私たちプレカリアート自身だ。

流れに任せていたらどうなるか。
生存に「何か」の条件を付けたとたんに、それは全ての人を拘束する。
「条件」は増殖し、それに抵触しない人などいなくなる。
そんな世には自由も生きる喜びもない。
ただ、日々に怯え生き延びることだけが生きることとなる。

目標は逆だ!
生存に条件を付けず、すべての人の生存権を保証すること。
最低賃金をはじめ、(障がい/障害/障害を持つ人)年金(注)、失業給付等々の社会保障を生存に十分な水準とすること。
様々な自由を得るための方法を、望むすべての人に保証すること。

今、私たちは瀬戸際にいる。

バッシング・削減に抗して、プレカリアートの自由を!

(注)
障害年金」を「障がい年金」と表記する原文案に対し、当事者を含めた組合員から以下の3通りの意見があった。
・「『がい』の表記は役所的イメージ・隠蔽・偽善を感じ、『害』の字をそのまま使うべき」
・「『害』の表記は『そこなうこと、悪くすること』等の意味があり、『がい』の表記は推察だが障がい者のアソシエーション/当事者運動から出てきたのではないか。偽善ではなく自己定義権のためのものであり、『がい』と表記すべき」
・「最近は障害であるとか健常であるという二項対立を避けようと、また全人格規定的でないということから『障害をもつ人』という言い方が進められている」
当声明ではこれらそれぞれを尊重し、このような表記とした。

(以上)

| 注目の労働関連ニュース/記事など | 12:38 | comments(1) | trackbacks(0) |
8.31 河合楽器製作所関西支社との団体交渉
 8月31日(金)午後2時より、カワイ音楽教室長崎事務所事案について、団体交渉を継続開催します。

全国各地にあるカワイ音楽教室で働く講師のみなさんの、契約(労働)条件は、すべて同じです。
fufが、現在長崎事務所事案として、関西支社と団体交渉をしてる課題は、全国のすべての講師に適用されるものです。

会社は、だからこそこの契約内容に問題があっても、変更を認めようとしない面があります。
しかし、河合楽器製作所が講師を委任契約という限りなく偽装的な契約を継続し続ける限り、講師の労働条件は絶対に向上することはないのです。

また、契約内容のみならず、音楽教室でおこなわれているさまざまな研修、発表会などなどは、長い慣習で「ただ働き」としてなされていることが多々あります。

これらのことも含めて、詰まるところ河合は、講師を労働者としてすら認めないままに、あまりに安い講師料でまかない、さらには研修費やグレード試験などによっても、講師から「搾取」していると言えます。

カワイ講師の年収例をHPに掲載しています。

fufは、このような河合楽器製作所のシステムを変えるまで、団体交渉を継続します。

水面下で苦しんでいる全国の講師のみなさんの声を届け、一歩でも講師待遇を改善できる団体交渉をおこないます。
これ以上の不誠実な対応が続けば、新たに労働委員会で争うことも念頭に置いています。


全国一律のシステムを各地の音楽事務所に押しつけているにもかかわらず、これを改善する決定権を持つものが団体交渉に参加しなければ、解決しようがないのです。

河合楽器製作所も、これから、さらに音楽教育をやっていくのであれば、その重大な責務を担う講師への待遇を改善することこそが、大切なのではないでしょうか?

いつまでも旧態依然のシステムのままでは、決して何も変わらないまま、会社も衰退していくのは目に見えています。

団体交渉には、改善、決定のできる役職の出席が必要です。



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| 組合活動 | 10:58 | comments(1) | trackbacks(2) |