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6.7 反資本主義を追求するための学習会その1

【再告知】

★日時 6月7日(月)午後7時〜9時 
★場所 フリーターユニオン福岡事務所

★テキスト:「抵抗の主体とその思想」 
  著:小倉利丸 インパクト出版会



鳩山・小沢が辞任し、新しい「首」にすげ替えることになりましたが、漠然とした民主党支持は下落し、だれが首相であっても変わらないだろうという肌感覚みたいなものは、巷にあふれているような気はします。
もちろん、私たちは政権交替で何かが変わるなんて運動をめざし来たわけではない、そのことは昨年の12/24集会「全部じぶんたちでやるしかない」でも話し合われました。

沖縄の基地がそのままあり続けることと、私たちの直面する「貧困」とか「生きづらさ」的不安とかいうのは、無関係ではないでしょう。

今回の学習会、テキストは「難しい」という声も聞かれますが(笑)、テキストを読み込むというよりも、時代の空気を読み込むということです。

どうぞ、お気軽にご参加くださいませ!


以下、テキストの著者小倉利丸さんの最新のブログ記事より転載。


グローバル資本主義の裏面として、民衆のグローバル化も促されてきた。
「国家」を国際関係の唯一のアクターとみて国際政治を論じたり、資本の投資や貿易関係を唯一の国際経済のアクターとみるような時代にはなく、国境を越えた国家を介さない人々の直接的な政治的経済的な交流が、むしろ地域の新しい安定の基礎を作る可能性があることを様々な場面で僕達は経験している。

情報の流れもマスメディアや政府の規制を越えている。民衆は伝統的な世論操作の従属的な「大衆」ではもはやない。国家は政治的軍事的な物質的な基礎をもつとはいえ、国家は「国民」という観念を必要とし、「国民」による国家への同意と他国への無意識の敵意を獲得できなければ国家としての政治も軍事も意味をなさない。

「国民」の観念は近隣諸国への敵意と不可分なアイデンティティでもある。これが国家の限界でもある。国家に還元しえない民衆のアイデンティティの拡張は、こうした潜在的な敵意を退ける国家横断的な方向へと向かう可能性も常にもっている。
国家を越える民衆のアイデンティティは、民衆の生存の必要に根ざして入れは必然である。衣食住の充足のための共同的世界を国境で政治的な必要によって区切ることには明らかな無理ある。
こうした民衆の国家を越えるアンデンティティの可能性を国家は黙認するはずがなく、宗教や民族の観念を動員してこれを国家に統合する手段に利用しようとする。しかし宗教も民族もそれ自体は観念でしかないのだ。

人は観念によって殺したり殺されたりすることはできるが、観念によって「食う」ことはできないのだ。「生」を肯定する道筋は、観念の世界にはない。東アジアの平和は、この意味での観念を反省することなくしてはありえない。

とりわけ「日本」という観念(妄想とすら言えるだろう)がもたらした戦争と侵略の負の歴史を見据えることが、今に至るまで必要なことであって、このことは、国家や資本の権力に固執する人々にはなしえないことも明らかなことだ。平和は国家によってはもたらされない。だから、平和を国家にゆだねてはならない。









以下、再掲・・・・・・・

フリーターユニオン福岡が目指すべき一つの理念として掲げる反資本主義。
これを追求するため、今私たちが置かれている位置を知らねばならないと思う。
私たちは今、歴史的な時間のなかで、あるいは地球という物体の上で、
いったいどのような位置にいるのかを。

一人の人間の小さな生命が存在する時間や空間ではあるけれど、
ちっぽけな自分がどこに立って生きているのかを見いだす試みによって
少しは広い世界が見えてくることもあるのではないでしょうか。

そして、それを同時代を生きる仲間同志で、
議論しあいながら見つけだしていくことこそが運動であったり
生きることであったりするのだと思います。

今回は、表記テキストを参考にして、反資本主義をどう生きるかの総論的な学習を試みることにしました。ほんの「第1章の1」というさわりの部分だけを読み合わせながら意見交換をするだけですので、関心のある方(ない方も!)どなたでもご参加ください。



第1章 グローバル資本主義への抵抗の【主体】

1 ポスト新自由主義の幻想−期待できることなんか何もない

 ○不安定なポスト新資本主義
 ○資本と国家の秩序−労働力化する人間
 ○人間嫌いのシステムとしての資本主義
 ○異例としての市場経済
 ○民衆世界の実質的包摂への抵抗
 ○労働力化への抵抗
 ○民衆(プロレタリアート)の創造力と想像力   



※今回はここまでです。レジメは事務所にコピーがありますので、必要な方はおいでください。
 ご連絡いただければ、郵送もできます。




「…究極の目標を見失った政策対応の運動は、必ずや天皇主義や「宗教原理主義」のような擬制のユートピアを引き寄せてしまう。もし、民衆の中に強い指導者がいるとすれば、それは、ある固有名をもった個人ではなく、多様な民衆そのものが生み出すであろう集合的な主体以外にはありえない。
もし、神なるものが存在するとすれば、それは67億の民衆一人一人が心に抱くかけがえのない存在の集合以外にありえず、だれかが私たちに与える絶対的な存在などでは決してないはずだ。しかし、日常的な闘争が、資本と国家の物差しにみずからの想像・創造力を切り縮めてしまえば、運動は今ここにある秩序の外に出るだけの力を喪失して萎えるばかりだ…」テキストより抜粋

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