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東琢磨 & フリーターユニオン福岡 トークセッション
東琢磨 & フリーターユニオン福岡 トークセッション

「<独立空間>ヒロシマからフクオカへ ―平和と労働の都市論―」

日時:10月8日(水)18時30分開始
会場:西南学院大学内 西南コミュニティセンター・ホール
入場カンパ:500円

講演:東琢磨さん(音楽批評家・文化活動家)
対談:東さん&小野俊彦さん(フリーターユニオン福岡)

ラテンや沖縄の音楽批評のみならず、さまざまな文化領域で活躍されている東琢磨さんを福岡にお招きしてのトークイベントを開催します。
昨年上梓された刺激的な都市論・平和論『ヒロシマ独立論』をめぐって講演していただいた後、東さんが提起しヒロシマから発信された平和と友情の呼びかけをフクオカがいかに受けとめるかについて、フリーターユニオン福岡のメンバーと熱くトークセッションしてもらいます。

東琢磨(ひがし・たくま)
1964年広島生まれ。(株)ディスクユニオン勤務(バイヤー/マーチャンダイザー)、季刊『アンボス・ムンドス』編集長などを経てフリーランスに。著書に『全‐世界音楽論』(青土社)、『ラテン・ミュージックという「力」』(音楽之友社)、『おんなうた』(インパクト出版会)、『ヒロシマ独立論』(青土社)など。共編著に『国境を動揺させるロックン・ロール』(ブルース・インターアクションズ)や『音の力』シリーズ(インパクト出版会、DeMusik Inter.名義にて)、『複数の沖縄』(人文書院)ほか多数。

http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000160710100001
(参考記事)

ヒロシマ独立論 東琢磨さんに聞く
2007年10月10日

ヒロシマ独立論 青土社・1995円/ひがし・たくま 64年、広島県生まれ。
レコード会社勤務をへてフリーランスライターに。

 「唯一の被爆国」。広島市の音楽評論家、東琢磨さん(43)はこの言葉に違
和感を抱いてきたという。「被爆を語るとき、私たちは知らず知らず『国家』と
いう枠に取り込まれてきたのではないか」。そんな引っかかりを下敷きに過去と
現在の被爆地広島の表情を描きながら、平和都市のあり方を考察した「ヒロシマ
独立論」(青土社)を今夏刊行した。なぜ独立なのか。自身の体験を交えて語っ
てもらった。(聞き手・武田肇)



 ――唯一の被爆国という言い回しは広島、長崎以降、核が実戦使用されていないという点では間違っていないように思います。違和感の理由は何ですか。


 いくつかの点で疑問があります。ひとつは62年前、広島、長崎で被爆したのは日本人だけではなかったということです。在日朝鮮人や強制労働で連れてこられた中国人、アジア諸国の留学生、捕虜のアメリカ兵ら、さまざまな人々が被爆しました。被爆は大日本帝国を背景にした多民族的な都市としての経験であり、単一民族的なニュアンスを含んだ「唯一の被爆国」という語り方は正確でない。
さらには世界の核実験場や原発事故で被爆(被曝(ひ・ばく))の問題が起きており、被爆体験は日本だけではないことです。安易に「唯一の被爆国」と強調することは、加害を含めた歴史を忘れ、ナショナリズム的な反核に転化してしまう危険性があります。


 ――といいますと?


 原爆投下は米国という特定の国家によって加えられた暴力だった。しかし同時に、原爆投下を科学技術的にも政治的にも可能にしたのは、国益のために暴力や破壊をためらわない「国家」という装置一般がはらむ問題であることを銘記する必要があります。そうした国家の暴力性を批判的に見据えなければ、被爆国を強調することは、憲法9条を変えて軍事大国化に突き進もうとする国家の実態を包み隠すことに利用されるのではないかと危惧(き・ぐ)します。ヒロシマを訴えても、南京やパールハーバーが対置されるような戦争犠牲者に国境線が引かれる状況からも脱却できません。


 ――なぜ「ヒロシマ独立」なのでしょうか。


 一瞬で10万人以上の人間の生命が消され、その後も多くの人々を放射線の後障害に苦しみ続けさせている。こうした被爆の重さを受け止めるのは特定の国家や国民ではなく、世界中の不特定多数の人々ではないかと思います。ならばいっそ日本から独立し、超国家、超宗教の、世界に開かれた「独立空間」にしてしまえばどうかと。むろんこれは思考実験であり「笑い話のネタ」程度に受け止めてもらって結構ですが、発想の根っこはまじめです。


 ――本職はラテンアメリカや沖縄を専門とする音楽評論家。ヒロシマに関心を向けたのはなぜですか。


 05年、生まれ育った広島市南区へ十数年ぶりに居を移したのが直接のきっかけです。原爆投下は私が生まれる19年前ですが、被爆で父方の祖父が亡くなり、父方の祖母は被爆者として97年に90歳で死去するまで戦後を生き抜きました。
祖母は被爆のことをあまり話したがりませんでしたが、毎年8月6日が近づくと家の中がぴりぴりしていた。そんな空気の重さもあって10代後半に逃げるような感じで上京しました。でも、30代後半あたりから、私が世界でマイノリティー(少数者)と呼ばれる人々や土地に根ざした音楽文化に傾斜するのは「生まれ育ち」とかかわりがあるのではないかと意識するようになりました。そうした目で再びヒロシマと向き合ったとき、空洞化が気になり始めたのです。


 ――いまの広島をどう見ていますか。


 国際平和都市という世界的なシンボルを背負わされた故郷には確かに平和という言葉があふれているが、その内実は貧しくなっているのではと懸念しています。
ヒロシマが「国家」に取り込まれ、利用される可能性をどれだけの人が気にかけているのか。核廃絶は言っても戦争の否定には向き合えていないのではという批判に答えられているか。自分も含めて恥ずかしい限りですが、目と鼻の先である米軍岩国基地の拡張問題にさえ、まともな形で対応できていません。
 なぜそうなのか。私なりに理由を挙げると、平和運動の担い手から20代から40代がスポンと抜け落ちているからです。平和という「きれいごと」を口にするのは子どもと老人だけと言わんばかりの事態になっている。自分たちはどう生きたいのか、社会をどうしたいのかという徹底した議論の不在です。「ヒロシマ独立論」は故郷への愛を最大限高め、またその分憎悪も込めて、そうした議論のたたき台になればとまとめました。





※東さんは10月8日の16時すぎから日本政治論の特別講義も
され、翌9日のチャペル講話も担当されます。

主催/問い合わせ先:田村元彦(西南学院大学教員)
          mtamura@seinan-gu.ac.jp
| ミニ・イベント告知 | 08:49 | - | - |
五月病をこじらせたフリーター、路上でのさばる
bira

早く人間になりたい?
そんな叫びはとっくの昔に忘れてしまった

人間=日本人=まっとうな労働者
「自分の商品価値を高めろ」
「会社に隷属しろ」
「俺の指示から社会を学べ」
「お前の代わりはいくらでもいる」
…せめておとなしく清く貧しい市民生活を…??

憂鬱な職場でわずらった五月病をこじらせて
戦争国家に対する敵意をこじらせて
我々は妖怪にこそなってしまうのだ
消費社会のスピードと職場の空気についていけない妖怪
スタバ帝国でフェアトレードコーヒーも飲めそうにない妖怪
監視カメラの視線が痛い妖怪

妖怪どもが群れ、地主、社長、上司、金持ちが怖れおののく
妖怪どもが群れ、警察は治安維持をあきらめる
「人間扱いしてくれ」?「人間に優しい社会を」?
そんな懇願は我々の声ではない

<フリーター>は妖怪だ
<ニート>は妖怪だ
<ヒキコモリ>は妖怪だ
「健全な社会」からの救済の手など要らない
「ニートを自立させる」とか言うやつら、お前は「自滅」しろ

路上に危うい叫びが響きわたる
いたるところに妖怪がはびこる
妖怪たちは群れ、共存し、団結する
金持ちよ、地主よ、かしこい消費者たちよ、妖怪の出現にビビリあがれ

万国の妖怪どもよ
まっとうな労働者としてコキ使われることを拒否したものどもよ
まっとうな日本人として日の丸に敬礼することを拒否するものどもよ
資本主義を、国家を腐らせる時がきた
時に静かに
時に騒々しく
共に路地裏から都市を掠め盗ろうではないか
それが我々の世界だ

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| 集会・行動などの報告 | 10:44 | - | - |